守大助さん面会と日本母親大会

 8月23日から千葉・東京に行ってきた。千葉刑務所で服役させられている守大助さんとの面会と日本母親大会参加のためであった。
 23日は連れ合いらと徳島空港7時40分発の羽田行きに乗り、羽田からはバスで千葉駅まで行った。乗り換えがないので安心。今回の守さんとの面会は三度目。守大助さんを支援する徳島の会の事務局長の川上さん、幹事の鎌田さんと一緒であった。千葉駅西口で千葉県国民救援会の岸田さんと合流し、彼女の車で千葉刑務所へ。手続きを済ませて面会を待っていると、刑務官が出てきて質問。鎌田さんは初対面なので、守さんとの関係やこれまでの通信の有無、会いに来た目的等を聞かれた。形式的な確認事であるようだが、全く時間つぶしの無駄事である。
 守さんには本2冊とカンパを差し入れた。面会室に入ってきた守さん、以前よりも更に顔・体つきが締まってきているようであった。夏やせかとも思ったが、話しぶりから察するとそうでもなさそうなので安心した。
 鎌田さん(看護師)は初対面なので先ず自己紹介。看護に携わっている立場からすると、守さんの事件は全く考えられない判決ミス、のような趣旨の話をした。
 守さんは徳島から毎週届く便りは嬉しいと言った。藤本さんからは彼女の手作り和紙のハガキが届いた、有川からは写真入りのハガキ、病気療養中の衣川さんからも毎月便りが届いている。衣川さんが不自由な手で書いた手紙は、来るたびに字が奇麗になっていて、自分も頑張らなければならないと思うと。
 千葉に来て5年目になるが、今年は一番暑い夏になっているがそれでも何とかやっている。支援する会が各地にたくさんできているが、その会が増えるのは嬉しいがやはりその前に、今日にでも刑務所を出たい。参議院選挙では京都から看護師の倉持さんが当選したが、医療をよく知っている人たちの力ももらいたいので、宜しくと依頼された。
 こちらからは、翌日から始まる日本母親大会での宣伝・署名行動、8月31日・9月1日の中四国ブロックの守さんを支援する会と救援会との交流集会の事などを話した。

 24日は幕張メッセを会場にして日本母親大会の全体会が開かれた。大会が始まる前に海浜幕張駅で一仕事。千葉・神奈川・徳島等から20名ほどが参加して、仙台地裁宛の再審開始を求める署名用紙がはいった封筒を配った。この日私たち3人と徳島からは松浦さん、福島からは佐藤さんも参加。音の出る宣伝、必死の声かけなどで、おおよそ2,700通が手渡された。会場では、宮城から参加した守さんのお母さんらが宣伝を行っていた。



 海浜幕張駅前で。




 日本母親大会全体会風景



 日本母親大会は今回で59回目。私は前々回の広島大会に続いて2度目の参加。参加の大きな目的は、守大助さんのえん罪を晴らすための宣伝行動。
 初日の全体会の参加者は7,500名。のべ12,700名で、徳島からは42名(内男性3名)であった。全体会のオープニング(私立大東学園高等学校男子生徒15人によるヒップホップダンス)は宣伝行動のため、残念ながら見ることができなかった。母親大会と言っても年齢の高い人が多くなったこの大会、彼女らの目に若者のダンスはどう映ったのか、聞きたかった。若者との交流、いい企画であると思う。
 記念講演は「憲法のいきづく国に  私たちに求められるものは」と題して、弁護士で伊藤塾塾長の伊藤真さんが1時間ばかり話をした。真に解りやすく丁寧に話された。内容は省略。文化行事は前進座による朗読劇「死んでもブレストを」であった。敗戦直前の電話交換手の話で、彼女らを通して戦争の残酷さ無意味さが語られた。
 その後、各地の闘いが紹介された。東京・若い母親・東日本大震災の被災地・原発ゼロを目指す取り組み・子どもたちの現状・米軍基地反対の取り組みなどさまざまであった。解雇問題、男女平等の取り組みなど、多くの取り組みが話され、プラカードや横断幕が壇上に所狭しと披露された。守大助さんを支援する会として大事なのは、大助さんの母親を壇上に登らせて、全国の母親に息子のえん罪を訴えて、一日も早い再審開始、無罪を勝ち取ることである。

 2日目は会場を東京に移して、35の分科会が行われた。私は、「平和を語りつぐ 東京大空襲と戦争被害について」に参加した。63名の参加であった。
 まず助言者の山本唯人さん(東京大空襲・戦災資料センター)が1945年3月11日の東京大空襲を中心にパワーポイントを使って東京大空襲の概要の説明、ドイツのドレスデンの事例報告等が話された。追加として東京大空襲の補償を国に求める訴訟、治安維持同盟国家損害賠償を求める運動、若い人たち(高校生平和ゼミナール)による核兵器と戦争のない21世紀を求め子供の平和像を作る取り組み等が話された。その後は自由討論。私はあわ9条の会の、原爆パネル展・沖縄戦パネル展の普及の取り組みを話した。また、守大助さんを支援するための署名の依頼も行った。
 23日から25日までの3日間、ぎっしりの取り組みであった。我が家に着いたのが午後10時過ぎ。今回も疲労困憊であった。今回の大会会場ではたくさんの本が販売されていた。私がお札を小銭に替えるため購入したのは、「上京する文学」(岡崎武志 新日本出版社)であった。



 徳島からの参加者。羽田空港で。





 我が家の絵馬  四国22番札所 大龍寺(徳島)



どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○同じ約束 石山寺よ 余所(よそ)じゃ私を 秋の月
○白鷺が小首かしげて 二の足踏んで やつれ姿の 水かがみ
○夢になりとも 情けはよいが 人の辛さを 聞くもいや