「歌集 この国のかたち」赤塚尭著と宮内張子(高松)来年の干支は羊

 先日、日肝協の総会に参加した際、「孺子の牛 其の3 ブログで中国」を知り合いの方に差し上げた。其のうちの一人の方から送られてきたのが、「歌集 この国のかたち」であった。早速読んでみた。

この国のかたち―赤塚尭歌集

この国のかたち―赤塚尭歌集

 著者略歴によると、1939年に東京の本郷で生まれ、東京大空襲で生家を焼かれ、茨城に移住している。中野勤労者医療協会で長年仕事をして、その間短歌を学んでいる。新日本歌人協会常任幹事を務めている。患者会活動も30年あまりしている。薬害肝炎訴訟の原告にもなっており、電話相談などで肝炎患者・被害者の救済に当たっている。今年の日肝協の総会でも代表幹事に選出されている。以前から顔は見知っていたが、短歌を作っていたとは、知らなかった。著者にとっては第3歌集のこの本、肝炎についても多く歌っている。
 日肝協の事務局長であった高畑譲二さんは、肝炎の集会のときにマイクを持ちながら倒れて、その後亡くなった。其の彼を悼む歌もあった。多くの肝炎患者が、国の無策に因って斃れている。著者の平和を希求する意思と、肝炎患者の無念さ、肝炎対策の充実を求める気持ちが伝わってくる歌集であった。

○マイク持ちつつ倒れし君よ傍らに心肺停止となりてうごかず
○生涯を肝炎患者の救済に尽くしきりたる笑顔浮かび来る
○君の遺志をついでたたかう意を固め真冬日の朝事務所に急ぐ
○職退きてついに古希なる年齢(とし)となるやり遂げしもの何ひとつなく
○輸血にて授かりし肝炎ウイルスにて終生われに纏いつきいる
○療友はみな肝がんに遣られたり生かされしわれ運というべきか


 5日(水)には、恒例となった宮内張子を買うために高松の福田屋(http://mingei-fukuda.com/gangu.html)まで行って来た。毎年、翌年の干支の宮内張子を手に入れるためである。今年は、連れ合いは忙しくて一人で行った。
 宮内張子は、今では宮内フサ(1985年102歳で死去・人間国宝)さんの孫の代に当たる、太田みき子さんと永井節子さんが受け継いで作っている。太田さんには手伝っている人がいるとのことであった。


左の張子の羊は太田さん作、右の手ひねりの土人形は永井さん作。


どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○貸したこの膝枕に替える 気にはならない久しぶり
○とめてよかったあのまま帰しや どつかで濡れてる通り雨
○海は霧ですもう東京の 言葉も聞かれぬ夜汽車です


全国弁護団における現在の提訴者数は14,091名、和解者数は8,720名、
大阪弁護団における現在の提訴者数は2,743名、和解者数は1,906名です。
(2014年11月4日現在)
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