蜂の巣、上棟式、「戦中気侭画帳」(武井武雄 1973年筑摩書房)、

 15日(日)は10時から、近くに住む連れ合いの従弟の家の棟上式があったので参加した。暑い日差しの中、大工さんたちは一所懸命準備をしていた。以前の家は60数年前に建築したもので、だいぶ傷んでいた。従弟の息子は農家の後を継いで頑張って働いている。私の息子より1歳年下だが、小6「娘」、小4「息子)がいて仲よく暮らしている。

 「戦中気侭画帳」を読んだ。松山に行く高速バスの中でであった。
長野県岡谷市にある「イルフ童画館」の紹介によると、「武井武雄 明治27年〜昭和58年 岡谷市出身「子どもの心にふれる絵」の創造を目指して、自ら『童画』という言葉を生み出し、大正から昭和にかけて童画、版画、刊本作品、玩具やトランプのデザインなど様々な芸術分野に活躍し、いつも探求心をもって生涯挑戦を続けました。
『童画』という言葉を創出し、子どものための絵を総称する提案を行うとともに、童心を巧みに表現した独自の画風で童画界をリードしてきました。」と紹介されていた。
 毛筆で書かれた戦中の画帳は5冊にのぼった。東京が空襲にさらされた時期の絵が中心である。


 昭和20年2月26日 筆で、以下のように書かれていた。
 「3時頃サイレン鳴り渡る。しかしいつ迄たっても、情報なし。そのうちに、軍管区情報あり。曰(いわ)く昨日の空襲被害によりサイレンに故障云々。夕方再び勇を鼓して特攻精神を以て、裏の方へ向け道路設営に挺身す。玄関へ、退避壕へ、それから風呂場へ。然しこの辺吹溜りにて膝より遥かに深し。そこで夕飯となる。」

 昭和20年2月28日
 「敵襲間近か、自作雛の登場も或ひは今年が最後ともならむかと思ひ出して飾る。」
 「現し世の裂けよと火玉降り敷けど 眉静かなる日の本の雛」

 昭和20年3月4日 防空壕の中で
 「久しき平穏を破り、朝7時半突然警報、つづいて空襲サイレン、時間からいへば艦載機だが、今日はめづらしく朝からB29の編隊、数梯団である。待避所へ行く。前半は唯一人で誰も来ない。後半は村上・山本その他がはいる。今日は鉛色の陰気な曇天で、高射砲の轟(とどろき)雲に木魂し、陰にこもりて実に物凄い無気味な音がする。硝子戸がビリビリと身振るひをする。続々、山梨地区からはいってくる。一難去って又一難といふ感じ。十時半漸く解除となる。来襲150機」

 昭和20年8月20日
 「堪え難きを堪え 忍び難きを忍び 堪え難きを堪え 忍び難きを忍び」
 著者は空襲で家をなくし、1万点余り集めた郷土玩具も失った。 
 今日の戦争はこんなものではない。ミサイル数発、核爆弾一発で、一瞬のうちに日本が廃墟となる。原発の林立する狭い日本、戦争よりも外交努力に依って国の安全を確保するほうが、より賢明だと私は思う。






 我家近くの田んぼの稲も穂を出し始めてきた。庭先に大きな蜂の巣が。道理で最近蜂を多く見かけたわけだ。取り払った。

今年の目標
①中国語検定2級合格 不合格だったので、次回11月25日をめざす。
魯迅全集全20巻読了 現在、第5巻113ページまで読了。
台北陵クリニック筋弛緩剤えん罪事件の守大助さんをご支援ください!
B型肝炎訴訟は全国B型肝炎訴訟弁護団へご相談を!span>
「山家鳥虫歌」(近世諸国民謡集 岩波文庫
◯女子(おなご)好きなら八丈へ行きやれ 八丈昔はに女護の島
◯瓢(ひさご)葛屋に蚊遣を焚きて 綾や錦と夕涼み
◯山椒胡椒より辛いもの世帯 ならぬ世帯はなほ辛い
◯心清きぞ水鏡見やれ 濁るる心は無きものよ
◯江戸に咲く花駿河でつぼむ 殊にお江戸は花盛り