次女たち駒ヶ根へ、「志ん生の右手」、日本母親大会

 8月1日から我が家に来ていた次女たちが、夕方駒ヶ根に帰る。楓君は徳島に来る前に予定していたことを、ほぼ済ませたようだ。16日(火)には松茂町の月見ガ丘海水浴場で楽しんだ。2歳の梛(なぎ)君も大満足のようで海に入っていた。私はそばで見るだけ。この日の晩は、これも楓君の要望で回転寿司の蔵寿司へ行ってきた。
 今朝、連れ合いは金沢で日本母親大会があるので、私が車で徳島駅まで送っていった。朝、早かったので眠いことこの上ない。

 元気な子どもたちが来ていると、読書や中国語の勉強が全く進まない。彼らが書斎を占領しているからである。
 「志ん生の右手」(河出文庫)を読んだ。Ⅰ部、Ⅱ部、Ⅲ部に分かれているのだが、やはりⅠ部の落語に関する話が興味深い。上方落語と東京落語、落語と文学との関係、名人といわれる落語家の話などなど、30年も40年も前の話だが、今の落語家と比べてみると、その個性が際立っている。「ざっかけない」という言葉が出てきた。私にはわからなかったので電子辞書の国語辞典で調べてみた。デジタル大字泉には「粗野である」「ざっくばらんである」という意味であった。明鏡国語辞典には記載がなかった。

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 湯浅竹山人編「粹の懐」昭和2年(1927年)12月発行
○深ひおもひがいつしかそれて、あさひ流れにかかり船。
○花の頼りに色よい返事、夜半のあらしがふかぬまに。
○そつと二人が氣を置ごたつ、たれも當りにこぬ様に。
○見ればみるほどおもかげ清(きよ)や、めさへなければ何おもふ。
○飛で身がるく越行(こえゆく)蝶は、おもやくやしや垣一重。