明治・大正・昭和軍隊マニュアル

明治・大正・昭和 軍隊マニュアル (光文社新書)

明治・大正・昭和 軍隊マニュアル (光文社新書)

 先日、同じ著者の「戦場に舞ったビラ」を紹介した。この時期に行われた軍事教練の様子を紹介したものではない。本書は『明治期から太平洋戦争期にかけて、軍隊にまつわる「決まり文句」の数々を収録した軍隊「マニュアル」とも呼ぶべき本が多数出版された。これらは、出征する兵士が住んでいる村の幹部たちが行った激励の演説、それに応えて彼ら入営者が行う挨拶を収録したもので、当時の書店でふつうに売られていた。』と紹介されている。
 ここでは「マニュアル」の定義について、①入営した兵士のための兵営事情案内・軍隊教科書 ②軍隊・戦場にある兵士と一般人とが相互にやりとりする手紙例文集 ③兵士の入営・凱旋・葬儀の際用いる、式辞・挨拶模範 としている。
 マニュアルは民間人が発行しているのだが、基本的には「国民がいさぎよく兵士となって国を護ることで国家国民の自由が保たれる」ということとしており、国家の理念が貫徹しており、そのことは明治・大正・昭和を通じて、一貫している。
 著者は「ここで強調しておきたいのは、人々が(自ら書く・語る)行為の重要性である。つまり人々は『マニュアル』を見て、兵士たる自分、兵士を見送る人々が発するべき『正しい』言葉を、あたかも自分の主体的な言葉であるかのように発したのである」と書いている。これか暮らす軍隊がどのようなものであるか、暗示させられる。
 本によると、日清戦争日露戦争ぐらいまでは、生きて帰還できることが普通と感じられていた(実際はそうではないが)ので、郷土での歓迎ぶりも見越して、明るい祝辞・答辞が考えられていたが、太平洋戦争時期になると、まったくそういうことは考えられなくなってきた。
慰問文のマニュアルもあって、こういう文章を紹介している。「11日の、君の手紙を見て、僕は、さっそく躍りだしたよ。(中略)敵の首を17も打ち斬ったなンて、近来の快ニュースだ。それだのに新聞めが、何も書きよらんのは、怪しからん。これは特種に価するよ。それだけに僕は新聞にでないものがもの足らん・・・・君の剣道二段の腕前もさることながら、いくらチャンコロの首級でも17も斬るとは・・・・まさしく荒木又右エ門の再来だよ」。
 こうした手紙を書いたり書かれたりすることで、中国への敵愾心を煽っていった。