徳富蘆花 「謀反論」

 徳富蘆花の「謀反論」を読んだ。どこかの新聞に「謀反論」が紹介されていて、徳富蘆花大逆事件について幸徳秋水らの死刑について反対の論を東大(当時の一高)の学生の前で話した(1911年2月1日 明治44年)ものであった。文庫本でわずか16ページのものである。幸徳秋水等12名の処刑8日後のことであった。当時としてはなかなか勇気の必要な行動であった。表題の「謀反論」の外に、死刑廃絶などをもとめて書かれた「天皇陛下に願ひ奉る」「眼を開け」「勝利の悲哀」「死刑廃すべし」「難波大助の処分について」「死刑廃止」「日記」が収録されている。
 「謀反論」の中で徳富蘆花はこう書いている。「総じて幸徳らに対する政府の遣口は、最初から蛇の蛙を狙う様で、随分陰険冷酷を極めたものである。網を張っておいて、鳥を追立て、引っかかるが最後網をしめる。陥穽(おとしあな)を掘っておいて、その方にじりじり追いやって、落ちるとすぐ蓋をする。彼らは国家のためにするつもりかも知れぬが、天の眼からは正しく謀殺‐‐謀殺だ。」
 大逆事件は、天皇暗殺計画をフレーム・アップし、事件と直接無関係な社会主義者多数を巻き込んだこの事件で、当時の桂内閣が社会主義運動の根絶をねらって仕組んだ史上空前の大弾圧であった。全国を吹き荒れた大弾圧の暴風により、この後、社会主義運動は「冬の時代」と形容されるほど逼塞(ひっそく)させられた。

謀叛論―他六篇・日記 (岩波文庫)

謀叛論―他六篇・日記 (岩波文庫)

 徳富蘆花と言えば、高校の時(1962年)に「自然と人生」(岩波文庫 当時の定価80円)を読んだだけだ。徳富蘆花は「不如帰」で有名になったが、この「自然と人生」もよく読まれたものであった。87編の文章が掲載されているが、表題の所に○印があるのは、読んだ当時に感銘を受けた文章なのだろう。ちなみに、「花月の夜」「新樹」「梅雨の頃」「夏」「立秋」「秋漸く深し」「凩」「寒星」であった。
 東京に「蘆花恒春園」という公園があるが、かつて蘆花が20年も住んだところである。世田谷も当時は都会を離れた静かな田舎であった。



 上の写真は、宮内フサ(1985年102歳で死去)作品 金袋持人形


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
  ○影に成りたや お前のかげに 離れがたなき わしが身は
  ○千両持ちより 一文なしの 惚れた男が わしゃ可愛
  ○お前お立ちか お名残り惜しや 雨の十日も 降れば好い