死ばかり  「アベノミクスの終焉」

 このところ、知り合いの死亡ばかりが続いている。7月10日はMさん(女性・55歳)、9月8日は友人の母親(87歳)、一昨日は連れ合いの従兄(76歳)、昨日は知り合いの父親の死である。自分が大分年齢を重ねてきたから、こういうことがあっても不思議ではないとは思うが、あまりにも多すぎる。
 従兄は連れ合いの実家の隣りに家があって、父親の代から材木業をしており、長いこと県の木材買方協同組合の理事長などもつとめてきた。温厚で仕事熱心、カラオケ好きの人であった。今年2月に体調を崩し阿波市内の病院に入院して、その後徳島大学病院に転医していた。10日に義弟たちとお見舞いに行った時は、やせてはいたが亡くなるとは思いもよらなかった。昨晩、連れ合い・義弟たちと通夜に参加してきたが、死化粧師によって、生前のように艶のあるいい顔つきになっていた。
 もう一つある。知り合いの看護師の娘さんの失踪事件を、以前このブログに書いた。今朝の新聞を見ると、白骨が行方不明になった山の近くで発見され、遺伝子鑑定の結果彼女と認定されたというのだ。健生山の会のW石会長らと発見場所近くを昨年捜索したことがあったが、母親にとっては安心と同時に落胆のことでもあったろう。皆さんの、ご冥福を祈るしかない。


アベノミクスの終焉 (岩波新書)

アベノミクスの終焉 (岩波新書)

 本書の帯には、「過ちは繰り返された 日銀と政府の『物語』に騙されることなく、現実を直視し、日本経済のゆくえを探る」とあった。大手マスコミはアベノミクスを賞賛し、経済が上向いて、少し不安定材料があるものの、内閣改造により経済がもっと良くなるように持ち上げている。しかし、身近のわが身について考えてみると、残念ながらそんな兆候は一つも見当たらない。それでも景気は上向いているというのだから、どこかでその恩恵を受けている人・企業・政治家がいるのだろう。
 著者は、「有力な少数者の利益は結果的には守られた。こうして政策は続くのである。」としている。いつまでも国民は黙ってみているわけには行かない。

 昨日、ようやく孺子の牛其の三(ブログで中国)の初校を終えた。驚くほど訂正が多かった。自分の目は全く当てにならないものである。二校目でも多く訂正が出てくるのであろうか。とにかく、近日中に印刷所に持参する予定だ。



我が家の郷土玩具 古博多人形  親子福助 中ノ子勝美


どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○外の寒さを障子で仕切りや 内は餅やくうす霞
○傘も足駄も及ばぬ程の 雨呼べ今宵の雨蛙
○濡れた継子の瞳の中に 仔犬が甘えて乳をのむ