沖縄から見る 「詩画集日本が見える」 儀間比呂志・新川明

 わが家に、一冊の本がある。「詩画集日本が見える」(詩:新川 明 画:儀間比呂志 築地書館1983年10月発行)である。新川は1931年、儀間は1923年、ともに沖縄生まれである。解説で岡本恵徳は、「本書は、1960年6月、大阪で刊行された『詩と版画 おきなわ』と、沖縄タイムス社刊『新沖縄文学』21号(1971年12月刊)掲載の『儀間比呂志版画集 詞章新川明』を第一部、第二部として構成した詩画集である。(中略)20年前、10年も前の作品が、いまあらためて世に問われることは、それが容易に手に入らなくなっていて、復刻を求める声が大きいということにのみによるのではなく、そこにまぎれもなく、沖縄の戦後を生きた人々の精神の軌跡が刻み込まれているにほかならないからであろう。(中略)不条理な状況への怒りと〈祖国〉への思いから、沖縄そのものへの沈潜、そして『日本』を視てしまうところまで移りかわったその足どりが、タイトルを含めた詩画集のさし示すものであり、戦後の沖縄の人々の精神の軌跡をみることができるはずである。」と書いている。儀間の独特な版画とそれに合わせた新川の詩が、今でも活き活きと沖縄の現実を照らしだしている。
 日米政府による辺野古基地の建設は、沖縄の心を踏みにじっているばかりでなく、日本の主権・憲法9条をも踏みにじっている。

 「詩画集日本が見える」の中から、「掠奪の日の記録」を紹介しよう。

 祖父は日のあたる庭で
 むしろを編んでいた
 父は鍬をにぎって鉄柵のある畑で
 土くれを砕いていた
 母はうら山で
 たき木にする芒を束ねていた
 孫たちは遠い学校の教室で
 掛け算九々を暗記させられていた

 忘れもしない
 それは
 或る年の
 或る月の
 或る日の
 或る時間

 山を歩いていると
 いきなり鳥が飛びたつように
 晴れた夏の空を
 いきなりスコールが破るように
 不意に島をおおった
 行為があったのだ
 祖父は編みかけのむしろで
 簀巻きにされて転がされた
 父は土くれと一緒に
 ブルトーザの牙ではねのけられた
 母は束ねた芒ごと火をかけられて
 丸焼きにされかけられた
 孫たちは教室の窓をとびこえて帰ったため
 海鳴りのようなうずきの中で
 掠奪する者の擊鉄のひびきと
 略奪される者の石のような叫びを
 うすっぺらな胸板に記録した
 
 たしかにそれは
 或る年の
 或る月の
 或る日の
 或る時間

 白い真昼の太陽の下で
 たけだけしい沈黙につつまれて
 すすめられた行為だった

 

 この版画と詩は、私は、今沖縄で行われている自公民政府が行っていることだと思うのだが、どうだろうか。アメリカに土地を奪われている沖縄の状況を表現している儀間の版画を見ていると、50年も前のことが再現されている日本。本当に独立国家と言えるのだろうか。

 わが家の周りの景色は、そんなことを認めはしない。

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どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
伝言板に今夜は駄目と ぼんやり読める恋月夜
◯やっと眠って吾が子がはなす はずむ乳房をダーリンへ
◯彼のかたみをたたんだ胸に 外は春だと電話来る