久しぶりの映画

 昨日の肝炎講演会は、さびしい参加者だった。主催者は300席を用意し資料も400部用意したと言っていた。それが40名程度だったのだから驚いた。既に徳島の会場に行って話を聞いた人もいたようだが、今後は事前に全日程・会場を知らせていたら、患者にとって負担にはならなかっただろう。
 今日は、妻に誘われて「インディージョーンズ 」の最新作「クリスタル スカルの王国」を見てきた。相変わらずの荒唐無稽で楽しいところがよい。朝一番の上映時間だったが、なんと40名にも満たない観客の中に、4名もの知り合いがいた。徳島には映画館はほとんどないし、狭いところなので、出会うのが当然と言えるだろうか。叔母夫婦・元の職場のI崎女史、それにK野氏である。
 ようやく「竹内好の文学精神」を読み終えた。著者は2002年に筑波大学の大学院を卒業した、若い学者である。この本はその博士論文である。著者は「以上のように、竹内が文学者の視座に立つことによって認識しえた日本近代の問題性は、目指すべき価値が、世界水準というかたちで、文化の直接の担い手の主体性とも、その地盤の民衆の自発的契機にも無媒介に外在的に設定されたことから生じる、文化の非生産的、非自律的構造と、それを支える他律的精神傾向なのである。マルクス主義的な物質的基礎からの近代理解を拒み、精神固有の領域に注目することによって、竹内はこうした日本近代批判の枠組みを提示した。その枠組みは、近代的合理主義とその安直な受容への『おそれの感情』を基礎にして、非西欧固有の内発的な近代性の獲得の仕方を考えた論文『中国の近代と日本の近代 魯迅をてがかりとして』とそれに続く『指導者意識について  魯迅と日本文学のうち』の両論文において原理的に完成したのである。」と語っている。
 日本の近代化の問題点が、中国でも再現されているとして、再び竹内好が再考されているが、今竹内が生きているとしたら、どんな発言をするだろうか。本書では戦時中に大きな話題になった「近代の超克」論争にも言及している。
 昨日の徳島新聞の書評欄に「『近代の超克』とは何か」が載っていた。これも読むべきかどうか迷っている。竹内好についての言及があるからだ。

竹内好の文学精神

竹内好の文学精神

「近代の超克」とは何か

「近代の超克」とは何か