中国古代書簡集
- 作者: 佐藤武敏
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/11/10
- メディア: 文庫
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「郵は『境上、書を行(おく)る舎』であるという。境上は辺境であるとされている。とういのは、郵の字が垂と邑から成り立っているからである。そこで郵は辺境への通路に置かれる駅舎、つまり『しゅくば』という意味に解されている。さらに駅舎から駅舎へ人馬によって行う伝達の意味に解される。」
日本語で言う「手紙」はShou zhiと発音し、中国では「ちり紙」「おとし紙」になる。漢字といっても偉い違いだ。
書き手は「史記」で有名な司馬遷や中島敦の小説「李陵」の主人公の李陵はじめ、無名の人まで様々である。
司馬遷は宮刑を受けた後も史記を書くに至った真情を書いているし、李陵は匈奴の地に残留した心情を述べている。それぞれ、厳しい状況での生き様がうかがわれる。
面白かったのは埋葬の仕方をめぐる往復書簡であった。現在の仏教が葬式宗教に成り下がっている現状を見ると、中国古代も今も葬式が華美に流れていて、質素な葬式の意味がひときわ貴重に思われる。今から2150年ほども前の紀元前に書かれた手紙の発信者は楊王孫である。訳文によると「昔、帝堯が葬られたときは木をからにして匵(とく 小さな棺)をつくり、葛のたぐいのつる草で束ね、その穿(あな)は、下は泉を絶やさないようにし、上は悪臭が泄(も)れないようにした。それ故聖徳のある王は倹約であるから尊ばれ、亡くなっても簡易に葬られる。無用の工事はやらせない。いわれのないことに財を費やさない。今日、財産を傾けて葬礼を派手にやり、死者が帰るを留め、至るのを妨げている。そのことを死者は知らないし、生者は得るところがない。これを重惑(二重の迷惑)という。ああ、私はそういうことに同調しない。」