中国古代書簡集

中国古代書簡集 (講談社学術文庫)

中国古代書簡集 (講談社学術文庫)

 紀元前200年代の書簡が残っているのだから、中国の歴史の奥深さを感じさせられる。紀元前から、郵便制度があったのだから感心する。「郵」という字は著者の説明によると以下の通りである。
 「郵は『境上、書を行(おく)る舎』であるという。境上は辺境であるとされている。とういのは、郵の字が垂と邑から成り立っているからである。そこで郵は辺境への通路に置かれる駅舎、つまり『しゅくば』という意味に解されている。さらに駅舎から駅舎へ人馬によって行う伝達の意味に解される。」
 日本語で言う「手紙」はShou zhiと発音し、中国では「ちり紙」「おとし紙」になる。漢字といっても偉い違いだ。
 書き手は「史記」で有名な司馬遷中島敦の小説「李陵」の主人公の李陵はじめ、無名の人まで様々である。
 司馬遷宮刑を受けた後も史記を書くに至った真情を書いているし、李陵は匈奴の地に残留した心情を述べている。それぞれ、厳しい状況での生き様がうかがわれる。
 面白かったのは埋葬の仕方をめぐる往復書簡であった。現在の仏教が葬式宗教に成り下がっている現状を見ると、中国古代も今も葬式が華美に流れていて、質素な葬式の意味がひときわ貴重に思われる。今から2150年ほども前の紀元前に書かれた手紙の発信者は楊王孫である。訳文によると「昔、帝堯が葬られたときは木をからにして匵(とく 小さな棺)をつくり、葛のたぐいのつる草で束ね、その穿(あな)は、下は泉を絶やさないようにし、上は悪臭が泄(も)れないようにした。それ故聖徳のある王は倹約であるから尊ばれ、亡くなっても簡易に葬られる。無用の工事はやらせない。いわれのないことに財を費やさない。今日、財産を傾けて葬礼を派手にやり、死者が帰るを留め、至るのを妨げている。そのことを死者は知らないし、生者は得るところがない。これを重惑(二重の迷惑)という。ああ、私はそういうことに同調しない。」