一滴の力水

一滴の力水―同じ時代を生きて

一滴の力水―同じ時代を生きて

 作家の水上勉日本共産党の元委員長の不破哲三との対談集である。
 水上勉は1919年生まれ、不破哲三は1930年生まれで年齢は11歳も違うし活躍している分野も全く違う。水上の前書きによると、二人の結びつきの始めは心筋梗塞という病気だと言う。水上勉は、1989年6月に北京で天安門事件に遭遇し、帰国2時間で心筋梗塞に見舞われた。北京での心労が原因だったのか。
 水上勉より前に心筋梗塞を発病した不破哲三に、病気から回復した不破哲三にその経験談を聞こうと思って、それまでに全く面識がなかったが、水上勉から電話をして、付き合いを重ねるうちに、肝胆相照らす仲になったようだ。
 水上勉が作家として一番油が乗っていた時期に松本清張がいた。松本清張の本は十数冊も読んでいるが、水上勉の本は数冊しか読んでいない。
 不破哲三はこの対談のなかで、二人の作家の違いを、こう表している。「同じ社会派でも、だいぶ違う流れがあるな、ということを感じるんです。 中略 清張さんの社会派というのは、社会の仕組みそのものの追及にかなり重点がかかった社会派なんですね。『点と線』でも、主題は官庁の汚職事件で、登場人物を生き生きと描きながら、真相に迫ってゆきますが、ここで『社会』というのは、まずこの汚職事件の社会的な仕組みです。 中略 登場する犯人とか、被害者とか、そういう人たちが、この社会でどんな生き方をしてきた人間か、その人物像を、社会の歴史のなかでとらえるというところには、ほとんど重点はない。目がいつも社会の仕組みに広がるという社会派だというのが私の印象です。水上さんの作品は、同じ社会派でも、目の広げ方が違います。『霧と影』でも、宇田甚平という人物が詐欺事件の主な犯人として追及されますが、この事件の社会的な仕組みを描き出す方向に重点はおかれないで、宇田という人物の生まれから、どうしてこの事件にたちいたったかを書いて、この人物そのものの、社会的、歴史的にとらえた人間像を描き出してゆく, 中略 水上さんの重点は、人間像そのもの、社会のなかで生きてきた姿を歴史的にずっと描き出すところにあるように思います。」
 私が、松本清張を多く読んだのは、社会の仕組みのほうに大きな関心があったためだろうか。
 何冊か読んだ水上勉の本では障害者問題を扱った「車椅子の歌」(水上勉には障害者の子どもがいた)であった。
 原発のことにも二人は言及している。水上勉が生まれた福井県若狭には原発が林立している。原発安全神話が崩壊した今でもその神話にしがみついている、政府・原発業界の危険性を指摘している。私の私家版「孺子の牛」でも、知人の息子が原発事故で亡くなったことを書いているが、原発依存の政策を1日でも早く脱却しなけらばならない。平気で原発はクリーンだとかエコだとか言っているコマーシャルを見かけるが、全く嘘をついて国民を馬鹿にしている。この対談がされた1999年の日本の原発は53基、発電容量4,492万キロワットで、2005年現在は55基、4,958万キロワットに増えている。着工準備中のものもいくつかある。
 水上勉は生まれ故郷の若狭に「若狭一滴文庫」を作っている。命名の由来を「『一滴の水』の言葉には、旱魃に泣いた父や母の嘆きがこもっていたんですね。大飯町で掘り起こすべきは、故郷の先達のこういう精神であって、故郷を、大量のエネルギーの浪費をささえる原発などの場にすべきではない。意識的に『一滴』と名付けた理由は、それでございました。」
 そうすると、本書のタイトルの「一滴の力水」は、国民一人一人がダメなものはダメだよとそれぞれの場で声を上げることが、原子力行政など国民にとって暮らしの真の改善につながらないものを食い止め、現状を国民本位に変えていくことにつながるという意味があると考えるのは、読みすぎか。