塩見岳
「『論語』再説」で、白川静の「孔子伝」を紹介していた。家にあると思い捜してみたが、出てきたのは「漢字百話」であった。初出は「漢字百話」中央公論社1948年刊。
- 作者: 白川静
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2002/09/01
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日本でも、漢字音訓表によって、学校で使われる漢字が制限され、読み方も制限されて、漢字の持つ意味の広さが制限されてしまった。「漢字は訓よみによって国語化され、その意味が把握され、語彙化される。音訓表においては、『おもう』『うたう』『かなしい』などの動詞・形容詞は、思・歌・悲のそれぞれ一字だけに限定されているが、国語のもつニュアンスはもっと多様である。字音としては懐・念・想・憶などの字もあるが、そのように『おもう』ことはできず、また唱・謡の字もあげられているが、音訓表では『唱う』ことも『謡う』こともできないのである。」とも指摘している。
7月18日から20日まで塩見岳(3,052m)に登ってきた。私たち夫婦を含め健生山の会会員6名と、千曲市から参加した会員の友人の7名であった。18日7時に徳島を出発して4時に駒ヶ根の次女夫婦の家に到着。早速、近くのこまくさの湯で疲れを癒して、宴会となった。ビール・獺祭の純米大吟醸・晴耕雨読(芋焼酎)などを飲んで、前夜祭となったが少し飲みすぎた。
翌朝(19日)午前2時10分に娘宅を出発。三峰川林道のゲートを3時50分に出発し、4時40分に登山口から登り始めたが、いきなりの急登で大変であった。途中から雨と風が強くなり、何回かの休憩を挟んで塩見小屋に到着したのが12時15分であった。小屋近くでは雨風が強く体感温度は10度は切って、風も10数メートルは吹いていただろう。着替えをして体の寒さを凌いだが、後からテントが吹き飛ばされたといって何組かが、ずぶぬれになって小屋に入ってきた。「死ぬかと思った」と若い女性が言っていたが、北海道で亡くなった人もそんな状況であったのだろう。この日は、歩くこと7時間21分、休憩1時間4分の、合計8時間25分の行動であった。
翌日(20日)は4時20分に小屋を出発し、5時45分に塩見岳の東峰に到着して記念撮影。とにかく風が強くその上寒く大変だったが、富士山が大きくくっきりと見えた。小屋に戻って朝食をとり、7時50分に小屋を出発して13時35分に林道の入口に戻ってきた。この日は、歩くこと7時間36分休憩1時間39分の、合計9時間15分の行動であった。
しかし、60歳から登山をはじめ4年目の私たち夫婦には、大変厳しいものであった。最後はふらふらで何度も足を滑らせた。ようやくの思いで、娘宅に戻り孫の楓君と記念撮影をして、またこまくさの湯で疲れを取って(とても取れたとはいえないが)徳島に戻ったのが夜中の12時であった。疲労困憊であった。