塩見岳

 「『論語』再説」で、白川静の「孔子伝」を紹介していた。家にあると思い捜してみたが、出てきたのは「漢字百話」であった。初出は「漢字百話」中央公論社1948年刊。

漢字百話 (中公文庫BIBLIO)

漢字百話 (中公文庫BIBLIO)

 孔子伝は同じ中公文庫で出版されていたが、古いのでもう書店にはなかった。言語学など学んだことがないので、漢字百話はなかなかむずかしい。既成の漢字の捉え方が、随分と否定され新たな提示がされている。また、日本の漢字教育のマイナス点も指摘されていて、成る程と思う。中国の簡体字も同じだが、漢字本来の意味が理解されなくなってしまう。「中国でも民国5年、胡適が文字改革運動を起こして旧文学を攻撃して以来、古典語は文学としての地位を失い、戦後はまた大胆な文字改革によってその字形は一変し、旧文学の重要な要素であった漢字の美学は失われた。字形学的意味をもたない簡体字を限りなく作るのは、その漢字の数だけカナを無器用に作るにひとしい。 中略 民衆のためと呼号する文字改革は、やがてあらゆる文化遺産を、民衆から隔絶する愚民政策に転化する危険をふくむものといわなければならない。」と指摘している。
 日本でも、漢字音訓表によって、学校で使われる漢字が制限され、読み方も制限されて、漢字の持つ意味の広さが制限されてしまった。「漢字は訓よみによって国語化され、その意味が把握され、語彙化される。音訓表においては、『おもう』『うたう』『かなしい』などの動詞・形容詞は、思・歌・悲のそれぞれ一字だけに限定されているが、国語のもつニュアンスはもっと多様である。字音としては懐・念・想・憶などの字もあるが、そのように『おもう』ことはできず、また唱・謡の字もあげられているが、音訓表では『唱う』ことも『謡う』こともできないのである。」とも指摘している。
 7月18日から20日まで塩見岳(3,052m)に登ってきた。私たち夫婦を含め健生山の会会員6名と、千曲市から参加した会員の友人の7名であった。18日7時に徳島を出発して4時に駒ヶ根の次女夫婦の家に到着。早速、近くのこまくさの湯で疲れを癒して、宴会となった。ビール・獺祭の純米大吟醸晴耕雨読芋焼酎)などを飲んで、前夜祭となったが少し飲みすぎた。
 翌朝(19日)午前2時10分に娘宅を出発。三峰川林道のゲートを3時50分に出発し、4時40分に登山口から登り始めたが、いきなりの急登で大変であった。途中から雨と風が強くなり、何回かの休憩を挟んで塩見小屋に到着したのが12時15分であった。小屋近くでは雨風が強く体感温度は10度は切って、風も10数メートルは吹いていただろう。着替えをして体の寒さを凌いだが、後からテントが吹き飛ばされたといって何組かが、ずぶぬれになって小屋に入ってきた。「死ぬかと思った」と若い女性が言っていたが、北海道で亡くなった人もそんな状況であったのだろう。この日は、歩くこと7時間21分、休憩1時間4分の、合計8時間25分の行動であった。
 翌日(20日)は4時20分に小屋を出発し、5時45分に塩見岳東峰に到着して記念撮影。とにかく風が強くその上寒く大変だったが、富士山が大きくくっきりと見えた。小屋に戻って朝食をとり、7時50分に小屋を出発して13時35分に林道の入口に戻ってきた。この日は、歩くこと7時間36分休憩1時間39分の、合計9時間15分の行動であった。
 しかし、60歳から登山をはじめ4年目の私たち夫婦には、大変厳しいものであった。最後はふらふらで何度も足を滑らせた。ようやくの思いで、娘宅に戻り孫の楓君と記念撮影をして、またこまくさの湯で疲れを取って(とても取れたとはいえないが)徳島に戻ったのが夜中の12時であった。疲労困憊であった。