中国人強制連行

中国人強制連行 (岩波新書)

中国人強制連行 (岩波新書)

 2月5日には、愛媛県石鎚山山脈の中部にある寒風山(1763m)に行くことになったので、大麻山で訓練中。2日の日には石鎚山に行く予定だったが、寒いし、雪もだいぶ積っているようだったので、W石会長に断りの電話を入れたのだが、後で聞くとW石会長も行くのをやめたそうだ。昨年は伊予富士(1756m)にこの時期挑戦した。霧氷がみごとであった。今回も期待している。
 私が中国人の強制連行について、まとまったものに接したのは「穴にかくれて14年」(欧陽文彬著 三好一訳 新読書社 1959年)を古書店で購入して読んだ1968年であった。主人公の中国人俘虜劉連仁については、本書の「中国人強制連行」でも触れられている。また、花岡鉱山の暴動について「花岡ものがたり 木刻連環画集」(新居広治・滝平二郎・牧大介 1981年 無明舎出版)などが詳しい。「花岡ものがたり」は、日本の秋田県花岡に強制連行された中国人が、多くの仲間が死んでゆく過酷な労働と労務支配、生活条件に怒り暴動を起こした様子を、文章・切り絵・詩で構成されていて、敗戦直前におこった事件が生き生きと書かれている。「三光」もこの1968年に読んだ。三光とは、日中戦争時代に日本軍が行った作戦について中国側から見て、侵略した土地を「殺しつくし、焼きつくし、奪いつくす」行為であった。光文社から新書版で1957年に出版されていた。
 「中国人強制連行」は第二次大戦中に、日本政府によって強制連行された中国人(外務省の記録によれば38,935人が強制連行され、そのうち6,830人が死亡している)が日本国内だけでも135カ所の事業所で働かされた。本書では、大阪・花岡・北海道が主に取り上げられているが、殆どの事業所での実態はいまだに明らかにされていない。中国人を虐待して殺したりした人物の数人は、戦後罪に問われたが、すぐに社会復帰している。そこには戦後の世界情勢の変化で、当時日本を実質的に占領していたアメリカが、その責任追及を放棄した事実がある。日本に強制連行された中国人はもっと多かった。また、中国各地から満州国に強制連行された人数は明らかにされていない。朝鮮からも、中国人の数十倍の人が強制的に移住させられ、戦時の労働力不足を補うために労働させられた。この人数、処遇についても、もっと詳細を国は明らかにすべきだろう。
 著者は、実地に調査を続け支援活動を行っている。中国にも何度も足を運び、生存者・遺族から話を聞いている。
 本書の「Ⅵ 中国人強制連行と私たち」で、「『38,935人の中国人の移入、うち6,830人死亡』と記した『外務省報告書』の言説を鵜呑みにし、それがあたかも中国人強制連行の全体像を示すシンボルであるかのように一人歩きさせるにはいかないのである。Ⅰでみたように、中国人はくらしの中から、またくらしを守る闘いの中から、日常を断ち切る形で拉致され、日本へ連行されてきたのであった。それゆえ私たちがいま、真に格闘すべき相手とは、拉致の現場で殺害された者、逃亡し得た者、そして困窮に突き落とされた家族たちの存在を意識的に捨象し、この余りに少ない数字にまで切り詰めてしまった『外務省報告書』の思想であるとともに、実はその切り詰められた実態を知りもせず、知ろうともしてこなかった私たち自身のあり方にほかならないのである。」と指摘している。北朝鮮の拉致は日本をまねたものなのだろう。

上の写真は、宮内フサ(1985年102歳で死去)作品 92歳の作品 鉢巻達磨