B型肝炎訴訟 国は相変わらず責任放棄

 2月9日の徳島新聞記事にB型肝炎訴訟に関するものがあった。内容は以下のとおりである。

 20年経過の慢性肝炎で対立 原告と国、補償めぐり   
                      2011/2/8

 全国B型肝炎訴訟のうち先行する北海道訴訟の進行協議が8日、札幌地裁(石橋俊一裁判長)であり、発症から20年以上たった慢性肝炎患者について、国側は「損害賠償請求権はない」としつつ、何らかの対応を取る考えを示した上で、地裁に所見を求めた。
 これに対し、補償を求める原告側は「政治解決すべき問題で所見は求めない」と反論した。地裁は所見を示すかどうか明らかにせず、来月までに新たに3回の和解協議期日を指定した。原告、国側双方が協議後の取材に明らかにした。
 発症から20年以上経過した慢性肝炎患者の救済については、双方が受け入れを表明した札幌地裁の和解案では触れられておらず、新たに争点化。
 国側は民法の「除斥期間」(権利の法定存続期間、20年)の適用を求め、原告側は「長く苦しんだ患者が補償外となるのは認められない」と反発している。
 一方、和解案自体に関しては、原告側はこの日の協議で原則受け入れの方針を地裁に伝えた。国側も応じる意向の上申書を既に提出した。
 

 B型肝炎訴訟は、1989年6月に北海道で国を相手に損害賠償を求める裁判が起こされた。裁判では、他に感染原因があるという国の主張が退けられ、最高裁判所で2006年6月に5人の原告全員に勝訴判決が下された。国は、裁判が起こされた当時でも、社会的にはすでに常識となっていたB型肝炎発症の大きな原因が集団予防接種時の注射針の使い回しにあると言うことを認めず原告と争そい、問題の解決を先延ばしにしてきた。
 その上で、記事にあるように8日の札幌地裁での進行協議でも、20年以上を経過した被害者に対し民法724条に基づく除斥期間」(権利の法定存続期間、20年)の適用を求めている。原告は1月22日の全国原告団の代議員総会で「苦渋の選択」を選び、重症で一刻も早い救済を求めている被害者を何とかしようと、和解所見を受け入れたのだが、国は全く誠意を見せていない。被害者・国民に対する真摯な謝罪と、恒久対策の創設が早急に必要なのに、ここでも厚労省のメンツか、財務担当者のメンツか知らないが、原告と国との「基本合意」の成立を先延ばしにしている。この間、原告の数は700名を超え、国の責任を取らない態度に対し、国民の怒りが増してきていることを示している。
 今になって更に裁判所の「所見」を求める国の姿勢は、行政としての責任を放棄したものとしか言えない。
 国の基本法である憲法では、「第二十五条[1] すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定している。そして第二項では、「国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定し、国の責任を定めている。被害者・国民は、国によって憲法第25条の生存権を脅かされ、命を奪われてきている。
 国の今回の態度は、憲法の規定より民法の規定を上に置く間違った判断であろう。
 私は単純に、法律というものは社会的な一般常識を破る人がいる(B型肝炎訴訟では国)から、そうしたものを制限・罰するためにあると思っている。今回の場合、民法第724条を適用するのは、明らかに国民の常識的な判断に反する。B型肝炎訴訟は裁判員裁判には当たらないが、もしこの訴訟を裁判員裁判で行ったら、裁判員はどう判断するだろうか。結果は明らかであろう。

上の写真は、2月3日首相官邸前で宣伝行動する原告たち


上の写真は宮内フサ(1985年102歳で死去)作品 エビ付犬 大は98歳


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
  ●人を使はば 川の瀬を見やれ 浅い瀬にこそ 藻が留まる
  ●親は此の世の 油の光 親が御座らにゃ 光無い
  ●明くれば出て 暮るるまで 身は粉になると 裸麦
  ●池田伊丹の 上諸白も 銭がなければ 見て通る