中国語教室と葉聖陶

 5年間ほど、毎週月曜日に1時間半ほど中国語教室に参加している。教えてくれているのは孫先生。女性であるが、日本に来て10年余りになる。生徒は、私たち夫婦を含め5名のささやかな教室である。先生は、全くのボランティア。彼女も、日本語の勉強ができると言う。
 最近は、生徒が毎週交代で教材を自分で選んで予習をしてきて、先生役をする。先週の教材は、月刊誌の中国語ジャーナルからHさんが用意した。内容は、葉聖陶の「火車頭的経歴」(機関車の経験)の冒頭部分。 葉聖陶(1894年生〜1988年没 本名:葉紹均)は、魯迅1881年生〜1936年没)とほぼ同じ年代に活躍した作家である。テキストを読んでいて、ずっと昔、葉聖陶の本を読んだ記憶を思い出した。調べてみると、平凡社の中国現代文学選集(60年ほど前に出版された 全20巻)に彼の作品が収録されていた。「小学教師」(原題:倪煥之)と「潘先生の避難」である。
 それ以外に出てきたのが、「葉聖陶童話選」(1963年初版 1966年再版 250円 光生館)であった。これは中国語の本。40数年前、大学で中国語を第一外国語に選択していて、その時に使ったテキストである。この中に「火車頭的経歴」が入っていた。しかし、この作品は童話選の最後にあったので、そこまでは読んでいなかった。読んだのは、「一粒種子」「画眉」「稲草人」「聡明的野牛」。テキストには、たくさんの書き込みがあった。しかし、大学卒業後中国語から全く離れていたので、今では分からないことばかり。
 「火車頭的経歴」は1936年作であり、内容からすると蒋介石国共合作を反故にしたのに抗議した学生たちの行動を、機関車の立場から描いたのではなかろうか。日本訳も出ているようで解説でも読んだらわかるのだろうが、持っていないのでわからない。



 上の写真は宮内フサ(1985年102歳で死去)作品 唐獅子 92歳


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
  ○稀に逢ひにし 浮き寝の床の 夢な覚ましそ 鐘の声
  ○人目繁きを 浮名の立つと 障り勝ちなる 縁しかな
  ○深き思ひを 語ろとすれば 鶏もなくなく 東雲に