「南海の金鈴」 ロバート・ファン・ヒューリック

南海の金鈴 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

南海の金鈴 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 この小説、ディー判事シリーズの最終巻に当たるが、発行順によると14作中の第11作である。ここで、長年彼の副官としてディー判事を支えてきた、喬泰(チャオタイ)がデュイーを助けようとして殺される。
 小説の中で、ディー判事の仕えた則天武后と彼女の敵対者との関係について、こうディー判事の気持ちを記述している。『「太子は今後も正当な皇嗣の位を保ち、后一派は後退を余儀なくされる、さしあたってはな」そこでふっつり黙り込む。美貌と活力と稀有な才をあわせもつ后、しかしながら冷酷無比で、自身に連なる実家の栄達しか頭になく、憑かれたように迷走を続ける后の姿が脳裏に浮かぶ。間接とはいえ、初めてぶつかりあったが今回は后をだし抜いた。だが、ふと予感が襲う。これからもいくたびか、正面きって后と対峙し、無辜の血が多く流れるのではないか。身近にたたずむ死神の気配を感じ、ぞっと背筋が凍りつく。」』
 則天武后は中国で唯一の女帝であり、ディー判事(狄仁傑)は彼女の下で宰相になった。先に書名だけ紹介し1957年に刊行された林語堂の「則天武后」(小沼丹訳 1959年 みすず書房)には、則天武后の殺人表が掲載されている。則天武后の直接関係者が23名、唐王室関係者が50名、高官及び将軍が36名、合計109名とあった。この狂気のような時代を生き抜いてきた狄仁傑について詳しく書いている。
 林語堂は「彼は人民の友として、常に人民の味方となって将軍や高官と戦った人物である。が、迫害のあいだは、巧みに身を処して生命を全うした。つまり、この傑物は発言の時期を心得ていた。優れた法律家であった彼は、発言の時期や攻撃の対象をよく選び、ここぞというとき以外は決して無理をしなかった。」
 ロバート・ファン・ヒューリックの描くディー判事は、全く林語堂が表現した通りの才気あふれた人物になっていると感じた。



上の写真は、宮内フサ(1985年102歳で死去)作品 犬まい 94歳


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
  ○様と私とは 焼野(かけの)の桂 蔓は切れても 根は切れぬ
  ○茶物語に 他人事(ひとごと)いふて おのが恥をば 呑み隠す
  ○水に蛙(かわづ)の 鳴く声聞けば 過ぎし昔が 思はるる