上方の愉快なお人形

上方の愉快なお人形

上方の愉快なお人形

 著者は、京都の嵯峨野で「さがの人形の家」を運営している。書名に「上方」とあるように主に京都・大阪の人形・郷土玩具の紹介である。今ある全国の人形・郷土玩具の源は、京都の貴族社会から生まれた「御殿玩具」が全国に広まったものと著者は書いている。
 書棚には百冊ほどの郷土玩具関係の本があるが、上方だけに限って紹介しているものは「伏見人形」(塩見青嵐 河原書店 1967年)と「浪花おもちゃ風土記」(奥村寛純 村田書店)があった。
 御殿玩具は有職(ゆうそく)玩具とも言われている。貴族社会なものだから制作技術が優れているばかりでなく材料よいものがつかわれている。それが、庶民の世界にまで降りてくると材料も手近なものに変わり作り方も簡単なものに変わってきている。しかし、そういう玩具は素朴で私にとっては愛着を覚えるのである。我が家の1000点余りの郷土玩具の中で一番は、宮内フサ(1985年102歳で死去)作品であり、100点近くが私を楽しませてくれる。郷土玩具は、それぞれ制作されたいわれがあり、子供の無事な成長を願って作られたものもある。これらは上方に旅した人たちが、子供へのお土産として買い求めたものである。
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 写真は、30年ほど前に入手した大阪船場道修町少彦名神社の「神農の虎」
 写真に写っている札(祈願家内安全無病息災)に張り子の虎について説明がある。「文政五年の秋三日亡(コロリ コレラのこと)流行して大いに苦しむ。よりて薬種商相職り疫病除御薬として虎頭骨等を配合し虎頭殺鬼雄黄円と云ふ丸薬を施興し合せて張子の虎を製し、神前に供へて祈願を籠め病除御守として授與す。古人、病を療するに薬を服用すると共に又神の加護を祈る用意の周到なる、誠に想ふべきものなり。」
 まさに昔は病気を治すことは神頼みであった。

俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
  ○思ひ余りて をり焚く柴の 煙り寂しき 夕まぐれ
  ○春よ垣根の 雪にはあらで 消えぬ限りの 下思い
  ○過ぐる月日は 我のみ知りて 甲斐もなき身を 打ち嘆く