無実の守大助さんから徳島の会へ手紙

 仙台北陵クリニックの筋弛緩剤事件で、冤罪で千葉刑務所で服役中の守さんから「守大助さんを支援する徳島の会」あてに手紙が届いたので紹介する。ご両親が東日本大震災で被災されたが会いにゆくこともできず、歯がゆい思いをした守さんの心情が書かれている。



 この度の、東日本大震災に皆様から、励ましのメッセージ、宮城の両親の元には支援物質などお寄せいただき本当に有り難うございます。
 再審・復興に向け私・両親も頑張っています。
 徳島の皆さん、お元気ですか! 3月11日に起こった震災は巨大地震となり、巨大津波が東北の太平洋沿岸を中心に壊滅的状態にしました。宮城から離れた千葉でも大きな揺れが続き、窓からはコンビナート爆発で炎・黒煙が見えて、正直不安になりました。施設は丈夫ですので、被害はありませんでしたが、怖かったです。両親の安否が直ぐにとれませんでしたが、皆さまから“無事です”という多くの便りが届いていて安心ができました。
 私は4月28日で40才になり、守る会よりお祝い金を今年もいただき申し訳ありません。大切に使います。
 29才で人生に大変なことが起き、39才で日本にとって大変なことが起きました。40台は明るいことが起きると信じて、一日を一生懸命に、生きていきたいです。 
 再審請求が震災のため遅れてしまいましたが、この間にもう一度判決文を読み直し、先生に伝えしっかりとした証拠を提出できるように、していきます。医療従事者が多い徳島から、どんどん弁護団へ疑問・意見を出して下さい。
 東北・宮城が復興する前に、留学を終えて!! 役に立ちたいです。東北の人は強いです。私も頑張って闘い続けます。
 今後も短期間で再審開始を勝ち取るために、皆さんのご支援を宜しくお願いいたします。では又。
               2011.5.7
                無実の 守大助


上の写真は、宮内フサ(1985年102歳で死去)作品 鯛車


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
  ○難波入江の 身は捨小舟 岸に離れて 便りなや
  ○来ぬ夜あまたの 山時鳥 降るは村雨 我が涙
  ○憂き身浮草 沈みもはてぬ 底の心を 月や知る