B型肝炎訴訟で大阪地裁傍聴

 昨日は、大阪地裁でB型肝炎訴訟の口頭弁論があり参加した。大阪原告団は、私が昨年10月末に参加して以降も提訴する人が増えて、155名(全国では712名)になった。裁判の前には、恒例の淀屋橋での宣伝行動も行った。
 今回、口頭弁論を行ったのは原告番号120番と125番の人。120番の原告は、自分は母親からの母子感染だと長い間思っていて、母親に肝臓は悪くないかと何度も聞いて、「肝臓はどこも悪くない」「何回も同じことを聞かないで」と言われて、母親に申し訳ないことをしたと語った。この方は慢性肝炎から肝硬変になり、肝がんも発症して3回も手術をしている。現在は仕事もできず、医師の指示に基づき、3カ月に1度のCTスキャンと、毎日のバラクード服用、毎月の血液検査と辛い治療を続けている。「毎回病院に行くと不安になり、検査の結果を聞くまではとても憂鬱な気持ちになります。」「今では、家族を養うどころか、家族に精神的・肉体的に大変迷惑をかけている。本当に苦しい思いです。」と語った。
 125番の原告は7人兄弟で、B型肝炎ウイルスに感染しているのは原告だけ。肝炎を発症し「インターフェロン治療はとても苦しいものでした。注射を打ってしばらくすると、突然悪寒と40度近い発熱がおき、体のけいれんが止まりません。その後も注射のたびに高熱が出るので解熱剤を飲みましたが、頭が常に朦朧とし、体が抜けるようにだるくなるのです。髪の毛も抜けました。それでも連休明けから、病院に寝泊まりしながら職場復帰をしました。」と語ったが、それでも肝炎は良くならず、肝がんを発症することになる。会社に隠して通院する苦労も語ったが、その辛さを支えたのが妻の理解だったという。肝がんの手術をする前日の夕方、「妻と公園に行きました。『ガンを手術して直し、新しい薬を飲んで今度こそ元気になろう。』そんなことを話し、振り返って生駒山を見ると夕陽がきれいに輝いていました。道路に出ると、まっすぐな道路の先の方向にその夕陽が控えて私たちを照らしていました。まるで私たちを見守ってくれているかのようでした。私たちは、手術がうまくいくようにと二人で手を合わせてお祈りしました。」「私は一生、ガンの苦しい治療と再発を繰り返さないといけないのか。」と語った。
 2人の原告ともに予防接種時の注射器の使い回しによる感染で、人生を大きく狂わさせられた。
 又裁判では長野弁護団長が、大要、「札幌地裁での和解協議の進行を踏まえ、国は原告に対し苦痛を与えるような裁判の引き延ばしにつながる、不必要な証拠の提示を求めることなく、原告が早急に救済されるようにしてほしい」と述べた。
 裁判の後、会場を弁護士会館に移して、報告集会・記者会見・原告団会議が引き続き行われたので参加した。今回の裁判傍聴・報告集会には10名を越える大阪の学生の「オレンジサポート」(九州・東京・札幌・大阪にある)の人が参加した。オレンジサポートの今までの活動の紹介もあり、B型肝炎訴訟を支える活動が広がっていることを感じさせられた。
 原告と国が札幌地裁の和解所見を双方とも受け入れることになり、基本合意書の確認作業が進んでいる。6月2日と6月16日の札幌地裁での協議が順調に進めば、6月下旬には基本合意書の調印と菅総理の謝罪が実現することになる。原告が苦労しながらも追及して来た被害者の救済が不十分ではあるが実現することになる。ねばり強い原告団弁護団の努力とオレンジサポート・国会議員などを含めた支援の力が、今日の成果を生んだと言ってよいだろう。

 原告団弁護団では、今回の基本合意が成立することの意義について3点にわたって確認した。
①多数の被害者に対して国が正式に責任を認めて謝罪する。平成18年の最高裁判決がでても逃げていた国に対して、その責任を公に認めさせ、謝罪させる。
②司法救済制度の確立。国の試算でも、集団予防接種の注射器の使い回し被害者は、全国で40万人規模。これらの被害者の多くが、病気に苦しみ、将来の不安、仕事を失い、家族生活を壊され、偏見・差別を受けながら今なお苦しんでいる。感染とその危険性を知らないままの人も多い。これらの被害者について、早期に一定の賠償が受けられること。被害者として今後国に要求して、社会的にも活動していく基盤ができる。
③全てのウイルス性肝炎患者についての意義。証拠問題あるいは母子感染等であることなどによって、原告とはなれない患者も含めて、全てのウイルス性肝炎患者が、安心して治療を受け、生活が保障される恒久対策の充実と、差別偏見のない社会作り・真相解明等に向けて、大きな足掛かりとなる(国との協議機関の設置)。

 国との間に基本合意ができれば、個人の和解協議に場所が移ってくる。これについては、国はその解決をいたずらに引き延ばすことのないようにしてほしいと思う。昨年5月の札幌地裁による和解協議の提案以後にも、すでに4人の原告が亡くなっている。個人の救済だけでなく、全ウイルス性肝炎患者の救済のためには、実りのある恒久対策の実現が求められるので、原告たちの活動はまだまだ続く。



上の写真は、宮内フサ(1985年102歳で死去)作品 越後獅子


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
  ○花はいろいろ 五色に咲けど 主に見かえる 花はない
  ○宇治の柴舟 早瀬を下る わたしゃ君ゆえ 上りつめ
  ○様よ鹿島に 神あるならば 逢わせたまへや 今一度