B型肝炎訴訟徳島説明会と金子光晴「西ひがし」

 B型肝炎訴訟の説明会が各地で開かれている。先日も愛媛で開かれた。徳島でも準備中で10月8日か9日に開催される予定だ。今までも何人かの方から相談を受けてきたが、充分な説明ができたとは思っていない。弁護士が専門的な立場から説明したら、被害者も安心するだろう。なにせ、裁判所に提訴しなければ被害が救済されないのだから。
B型肝炎訴訟大阪弁護団の相談は、下記まで。近畿・徳島担当

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西ひがし (中公文庫)

西ひがし (中公文庫)

 金子光晴の自伝三部作の最後である。ここで金子はフランスから、日本に帰るための資金を作るために妻の三千代をベルギーに残して、東南アジアまで戻ってくる。パリでの生活のような切迫感はあまり感じられない。物価も格段に安いためと南国の人々のおおらかな人情の為だろうか。
 東南アジアでは阿片が蔓延している。こう描写している。「煙鬼(阿片吸飲常習者)が、枯枝のように片足をまげて、ジュ、ジュと、水がつまっているような湿った音をさせて阿片を喫っている。蒋介石の新政府このかた、中国本土では、禁煙の宣伝がゆきわたっているが、ここまではなれた辺土では、大目にみられて、いぎりす政府は、どうしようもない常習者を登録して、ところどころに公煙所を設け、くすりのきれたものにのませる制度をつくっている。くらい、奥ゆきのふかい家のなかで、けぶりを濛々とさせ、縁台のうえに煙鬼がごろごろと寝て阿片を喫っているのが、往来の通りすがりにものぞいてすぎることができる。豆ランプばかりがともっている異様な眺めは、赤裸にちかい苦力階級の痩せ衰えた姿とともに、地獄の入口階段のようである。」
 イギリスは清朝との貿易で、茶、陶磁器、絹を大量に清から輸入していた。しかし、イギリスから清へ輸出されるものには大量に輸出可能な製品がなかった。従って、イギリスの大幅な輸入超過であった。このため、イギリスは植民地のインドで栽培したアヘンを清に密輸出する事で超過分を相殺しようとした。清では、既に1796年(嘉慶元年)にアヘンの輸入を禁止していた。このことが、阿片戦争の原因となった。
 阿片に関しては、日本も同じようなものである。日中戦争の戦費調達のために阿片の栽培・販売を日本軍が大きくかかわっておこなっていた。正義の戦争・大東亜の建設の美名のもとにおこなわれた戦争の姿の一つが阿片の密売であった。


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上の写真は、宮内フサ(1985年102歳で死去)作品の版画


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
  ●沖の大船(だいせん) 碇でとめた 止めて止まらぬ 色の道
  ●木曾の嶽山 よい所なれど 笠に木の葉が ぱらぱらと
  ●淀の車は 水ゆえまはる わたしや悋気で 気がまはる