「浮生六記」(うきよのさが)と「李白詩選」(岩波文庫 松浦友久編訳)

浮生六記―うき世のさが (1948年) (岩波文庫)

浮生六記―うき世のさが (1948年) (岩波文庫)

 
 私が読んだのは、1938年に佐藤春夫と松枝茂夫の共訳のもの。私の図書目録によると1968年に古書店で買っているようだ。何かのきまぐれで購入して、積読のままであった。1981年には松枝茂夫の訳で再度岩波文庫で出版されている。その説明は次のとおりであった。「沈復(しんふく)は清朝・乾隆時代の人(1763〜?)。わずらわしい封建的な家族関係にがんじがらめにされながらも、作者は世にもうるわしい夫婦の純愛をはぐくみ貫いた。片時も忘れえぬ亡妻への追憶を縦糸に,山水と詩画を愛する画家気質を横糸として織りなされたこの自伝小説は、切々と読者の胸に迫ってくる。」
 「浮生」は、李白の「浮生若夢 為歓幾何」からきているという。そこで、松浦友久先生の助けを借りることにした。「李白詩選」(岩波文庫 松浦友久編訳) 

  春夜宴従弟桃李園序 李白


 夫
 天地者万物之逆旅也、光陰者百代之過客也。
 而
 浮生若夢、為歓幾何。
 古人秉燭夜遊、良有以也。
 況
 陽春召我以煙景、大塊仮我以文章。
 会桃李之芳園、序天倫之楽事。
 群季俊秀、皆為恵連。
 吾人詠歌、独慚康楽。
 幽賞未已、高談転清。
 開瓊筵以坐花、飛羽觴而酔月。
 不有佳詠、何伸雅懐。
 如詩不成、罰依金谷酒斗数。

 夫れ天地は万物は逆旅なり、光陰は百代の過客なり。而して浮生は夢のごとし、歓を為すこと幾何ぞ。古人燭を秉りて夜遊ぶ、良に以有るなり。況や陽春我を召すに煙景を以てし、大塊我に仮すに文章を以てするをや。桃李の芳園に会して、天倫の楽事を序す。群季の俊秀は、皆恵連たり。吾人の詠歌は、独り康楽に慚づ。幽賞未だ已まざるに、高談転た清し。瓊筵を開きて以て花に坐し、羽觴を飛ばして月に酔う。佳詠有らずんば、何ぞ雅懐を伸べんや。如し詩成らずんば、罰は金谷の酒斗の数に依らん。
 「浮生若夢、為歓幾何」とは、「定めなき人の生命(いのち)は、夢のごとく、歓び楽しむ歳月は、どれほどもない」とあった。

 佐藤春夫は、1892年(明治25年)〜 1964年(昭和39年)の小説家・詩人であるが、私が読んだことがあるのは、「晶子曼荼羅」「からもの因縁」「観潮楼付近」「佐藤春夫詩集」「車塵集・ほろとがる文」。
 数年前、熊野古道を歩いた時新宮に立ち寄ったが、そこには佐藤春夫の記念館があった。佐藤春夫は父親から論語素読を受けたり、詩経の講義を受けたりしており中国古典にたいしての造詣はふかかった。そればかりでなく当時の中国文学についても熱心に読んでいたようだ。随筆集「からもの因縁」のなかでは彼の中国文学・中国への愛着が書かれている。1935年には中国文学者の増田渉との共訳で岩波文庫から「魯迅選集」を出しているが、「故郷」「孤独者」が佐藤の訳であった。「からもの因縁」には「魯迅の『故郷』や『孤独者』を訳したころ」という一文があって、そこで彼は「わたくしの『故郷』ははじめ英訳で読んで、それを原文と対照しながら、訳した」と記述している。
 松枝 茂夫(1905年〜1995年)は中国文学者。東京都立大学名誉教授で早稲田大学でも教えたことがあった。「浮生六記」を調べてみたら、平凡社の「中国古典文学大系 56 記録文学集」(1969年刊行)に松枝茂夫の個人訳でおさめられていたので、岩波文庫版は再度訳しなおしたのだろう。「記録文学集」の解説では「この訳はもと佐藤春夫先生と共訳の形で岩波文庫に収められたものに、ほんの少し手を加えただけのものである。何しろ三十年前の旧訳であって、俄かに手の施しようがない。機を見て根本的な改訳をしたいと願っている。」と書かれている。最初に岩波文庫版で出版された時、読者はそこに書かれていることを十分に理解したのだろうか。「銀蟾」(月の別称)「射覆」(酒興でおこなうなぞかけ遊びの一種)「錦灰堆」(?)「坎坷」(志を得ないこと)「童媳」(息子の嫁にするために幼い時からもらったり買ったりして育てた女の子)などなど、浅学非才の身にとっては注釈を欲しいところだが、1938年刊の本書ではない。



 上の写真は、宮内フサ(1985年102歳で死去)作品の版画


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
  ○関の地蔵さま 深切ものよ 雨も降らぬに かさくれた
  ○紺の前だれ 松葉に染めて まつにこんとは 気にかかる
  ○山家育ちと 笑はば笑へ 吉野初瀬は 花所