「漱石の漢詩」和田利男 真実の道は究めれば究めるほど奥深いもので、とらえ難い。

漱石の漢詩 (文春学藝ライブラリー)

漱石の漢詩 (文春学藝ライブラリー)

 上記の本を読んだ。漱石生誕150年没後100年ということで、夏目漱石をいろんなテレビで取り上げているが、見たことがない。私が、夏目漱石を読んだのは、中学・高校・大学時代であった。4〜5年前ほどから漱石漢詩を読んだが、「漱石詩注」(吉川幸次郎 岩波文庫)と「子規漢詩漱石」(飯田利行 柏書房)であった。
 漱石漢詩は難しい。禅語が出て来るだけでなく、私の読解力が貧弱なためである。それにしても明治維新前後に生まれた知識人の「漢語力」はすごいに尽きる。四書五経(四書は「論語」「大学」「中庸」「孟子」、五経は「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」)の素読(意味の解釈を加えず、文字を声に出して読み上げること)だけでなく、唐詩などの中国古典詩を日常的に読んでいたのだから、今の我々とは全く違う。以前にも書いたがノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹も「本の中の世界」(岩波新書)で「子供の時に中国の古典、つまり漢文ですね、儒教の本といってもよろしい。論語孟子、そのほか色々ありますが、それ等を習った。何もよく分らん時分に、理解力のない時分に習った。その後、時分でそれを手がかりにして、例えば老子とか莊子とかいういうようなものも、中学校の頃に読んでみたりしていた。」
 湯川秀樹(1907年生)でさえそうなのだから夏目漱石(1867年生)ならなおさら、中国古典関する素養が豊富であったと言えよう。
 著者は、本書とは別の著書『漱石雑考』の一文「漱石漢詩との出会い」の中で、以下のように書いている。「そもそも漱石漢詩は、彼のあらゆる文学作品の中で、最も純粋に自己を表現した文学である。人に読ませるために作ったのでもなければ、人から勧められて平仄(ひょうそく)を合わせたわけでもなく、全く自分自身の要求に従って表現したものだからである。漱石の本音は漢詩にのみ吐露されていると言ってよい。」
 漱石の未完の書「明暗」は、体調の優れない中で書かれたものだが、午前中には執筆をし、午後には漢詩を作っていた。死の2日前(1916年11月20日)の詩を紹介する。

眞蹤寂莫杳難尋,
欲抱虚懷歩古今。
碧水碧山何有我,
蓋天蓋地是無心。
依稀暮色月離草,
錯落秋聲風在林。
眼耳雙忘身亦失,
空中獨唱白雲吟。


眞蹤寂莫 杳として 尋ね難し,
虚懷を抱いて 古今に歩まんと欲す。
碧水碧山 何ぞ我あらん,
蓋天蓋地 是れ無心。
依稀たる暮色 月 草を離れ,
錯落たる秋聲 風 林に在り。
眼耳雙ながら忘れ 身も亦失ひ,
空中 獨り唱ふ 白雲吟。

 【大意】
 真実の道は究めれば究めるほど奥深いもので、とらえ難い。せめて我欲を去った自由な心境で生涯を終わりたいと思う。山河、天地、どこに我執や私心があろうか。夕暗のとざす草むらの向こうから月が上り、秋風が林を鳴らしている。この静かな明るい世界の中で、私はいま恍惚と我を忘れて、空中に白雲の歌をうたうような気分を味わっているのである。

 なるほど、漱石漢詩は小説を読むよりも、彼の心の中が窺い知れるのである。

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