B型肝炎訴訟と守大助

 弁護士から、B型肝炎訴訟のための私の裁判資料の追加を言われた。肝炎感染のためのカルテがもっと必要とのことで、早速かかりつけの病院に、過去のカルテのコピーに行った。B型肝炎訴訟は6月28日に原告と国との基本合意の成立を受けて、各裁判所で和解が始まった。しかし、今までに9月16日に札幌で4人、東京で5人の和解ができただけである。大阪は9月30日に初めての和解が成立する予定である。現在1,000名近くいる原告のうちのほんの一握りである。国による集団予防接種時の注射器の使いまわしによる被害者は、40数万人いると推定されているが、その証明となるカルテや母子手帳などがないために、提訴できる数は残念ながら数万人にだろうと私は思う。
 提訴した原告にとっても、被害を証明する資料を集めるのは大変な困難を伴う。今回和解が成立した東京原告の代表の岡田さんは「国が書類の重箱の隅をつつくように書類を求めてきて、なるべく認定したくないという態度が見えている。100人以上いる東京の原告にこれをやっているとぼう大な時間がかかる。国は態度を改めて欲しい。」と新聞で語っているが、全くその通りと思う。
 原発被害を受けた福島の人たちや企業に対し、無茶苦茶な数の書類の提出を求めている東電程ではないにしても、被害者目線に立った処理が必要と思う。

 昨日は、守大助さんを支援する徳島の会の役員会があった。役員会に先立ち、徳島駅前でこの事件を理解してもらうための宣伝行動を行った。今回は参加者がプラスターを持ってチラシを配布した。9月17日・18日には仙台市で全国の守さんを支援する会の交流会がおこなわれ、徳島からは会長と事務局長が参加した。全国から180名を越える人が参加し、一定の前進が図られたと報告がされた。全国組織を作るための準備会ができ、これからは再審請求がおこなわれるので、全国組織の果たす役割は大変大きいとおもう。二人は、20日には千葉刑務所に行って守大助さんと話してきた。
 
 以下は、その時の会長の感想である。


 「大助さんとは2度目の面会です。前回は彼がまだ宮城拘置所にいた2008年でした。この時は冬で刑もまだ確定していない時期、色白で長髪、綿入ればんてん姿のさわやか青年で現れたのを覚えています。今回はスポーツ刈りの作業服姿、小麦色の引き締まった顔、さわやかさは変わりません。同じ作業服姿でも震災や原発の映像でよく見る政府や東電の関係者なんかよりよほど力強い話しぶり、風貌でした。お久しぶり、元気だね、靴作りはまあまあです、などの会話から今回の交流集会の話になりました。先ず北から南から180名以上の参加があったことを伝えると彼の表情がぱっと輝きました。そして、そんなに集まったんですか、嬉しいですと。再審請求の話では大震災でとん挫した理由は理解できるものの申し立てが予定より遅れていることに心は穏やかでないことを伺わせました。最初から最後までニコニコしながらの落ち着いたやりとり、そしてあの方はどうしていますかと近況を尋ねる余裕、屈辱的な服役囚としての3年間の筆舌に尽くせない心労、葛藤のせいか、彼の表情にはより成長した大人の雰囲気を感じることができました。また同時に彼が平静さを維持できるには、両親、弁護団と支援者の存在の大きさもあることを感じさせられ、支援者の役割を再認識して帰宅しました。」



 上の写真は、宣伝後に皆で写真。台風一過で暑い午後でした。


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
  〇桶屋さんより 木挽が憎い 仲の良い木を 引き分ける
  〇来るか来るかと 川裾見れば 河原柳の 音ばかり
  〇文は遣り度し 我が身は書かず 物を言えへかし 白紙が


 上の写真は、我が家の面 イタリアのオペラ面