人生別離足る 驚きの遍路道

 昨日は連れ合いと、久し振りに四国88カ所札所の遍路道、11番藤井寺から12番焼山寺のコースの半分ほどを往復することにした。折り返し地点は流水庵。7時50分に藤井寺についたが、そこにはもうすでに何組かのお遍路さんがいた。もっとも、早い人は6時ごろに出発して、長い焼山寺までの12.5キロの山道を歩いているのだが。
 本堂前で年の頃60歳ぐらいの二人の男性が写真を撮っていたので、撮りましょうかと声をかけた。仲良く写真に収まった。
 台風15号の大雨のため遅れていた小学校の運動会のアナウンスが、山道にまで上がってきて聞こえてくる。少し雲があり、運動会にも歩きにも格好の天気であった。いつもは苔で滑りやすい青石の敷いてあるところも、大雨で苔が流されて光っていて歩きやすい。ゆっくり歩いて、最初の休憩地長戸庵で少し休憩。若い女性が追いついてきた。和歌山から1人できているという。10時20分に柳水庵に到着した。長らく一服していると、また和歌山の女性が追いついてきた。暫く彼女と話をした。剣山・石鎚山にも登ったという。足が達者なはずである。途中で追い越した石井町の男性二人連れも大汗をかきながら到着。若い坊さんも到着。
 10時40分に引き返すことになった。涼しいのでそんなに疲れは感じなかった。20分ほど歩いて、林道のところで写真を撮ってあげた男性に出会ったが1人しかいない。連れは遅れてくるとのことで、少し心配そうであった。どうも気になる。見た感じでは元気そうな男性であったので、足でも挫いて遅れているのだろうと思い、少し歩を速めながら長戸庵に向かった。遍路道に足が延びて横になっているのが見えた。姿勢がちょっと不自然である。近づいてみると、藤井寺で会った男性の一人である。身体をうつぶせにして、大きなザックを背負ったまま、頭を地につけたまま倒れている。小さな緑の荷物も、中身が散乱して落ちている。異変である。声をかけ脈をとってみたが、全く反応がない。身体にも温かみが感じられない。直ぐに、後から来た連れ合いに救急車への連絡を頼んだ。この時が11時18分。身元が分かるもの、先行している連れの男性に連絡するため、携帯を探したがなかなか見当たらない。
 消防署にはなんとか連絡がついたが、こんな山道なので何時到着するか分からない。救急隊からは人工マッサージを到着するまでずっとやって欲しいと言われたので、連れ合いと必死になって交替でしたが、全く反応はない。携帯が倒れた男性のそばでなった。どうやら下向きになった身体のズボンのポケットにあったようだ。取り出して直ぐに戻るように言った。先行した男性と連絡がついてから45分、救急隊がようやく到着したのが12時5分。この間だれもこの遍路道を通る人はいない。
 到着した救急隊は6人で、現場の確認をし写真を撮り、担架に男性を乗せて山道を登って、救急車のある所まで帰って行った。
 二人連れの男性は共に61歳。大阪と西宮の人で、会社の元同僚。定年退職をして、今までに何回かは車で来たことはあるが、今回初めて歩いて札所巡りをしたという。亡くなった男性は若いころからスポーツをしていて、一昨日から歩き始め昨日も元気であったという。三日目は長戸庵のところで少し苦しいと言って、連れの男性には先に行ってくれと言って休憩を長く取ったらしい。男性が倒れていたところは、このコースの遍路道でも「遍路ころがし」といった急登を登りきって少し行ったところであったので、遅れを取り戻そうとして無理をしたのではないかと思った。
 転勤の多い会社を定年退職をして、これから好きなことができる矢先の不幸なできごとであった。奥さんも。子どもさんも元気に出発したAさんの訃報に接し、気が大いに動転したことであろう。お悔みを申しあげる。
 山や遍路はいつどんな突発事故が起きるかもしれないので、二人以上で行動することの重大性を改めて痛感させられた次第である。




 上の写真は我が家の面。イタリアのオペラ面



俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
  〇箱根八里は 馬でも越すが 越すに越されぬ 大井川
  〇箱根八里は 腕でも越すが 越すに越されぬ 大晦日