B型肝炎訴訟大阪地裁と原告団総会

 昨日、大阪地裁でB型肝炎訴訟の裁判があったので参加した。裁判は202号法廷で開かれたが、傍聴席はいっぱいで前の弁護士たちがいる所まで椅子を出してもらって、100名ぐらいはいたのではないっだろうか。
 6月28日に国と原告との間で基本合意が成立し、被害者も裁判に参加しやすくなったのではないだろうか。11月30日に全国で一斉に提訴が行われ、全国の提訴者数は1,937名になったという。大阪でも提訴者数は372名(患者343名)になったのだから、傍聴席があふれるほどになるのは当然だろう。
 今回は、徳島からも私のほかに2名の原告が傍聴に参加した。今回の裁判では原告番号44番の若い女性(全国で一番若い原告と思う。25歳か)が意見陳述した。彼女は東京の行動にも参加し、首相官邸前でもマイクを取って被害の救済を懸命に訴えた。意見陳述の一部を紹介したい。

 歯科衛生士の専門学校に通っていた19歳の頃、歯科医院でアルバイトをしていました。院長は専門学校の役員をしている人でした。献血が学校で行われた時に、B型肝炎なので出来ないと断ると、アルバイト先の院長に学校から連絡されました。そこで院長から言われた事は「なんで面接の時に言わんかった。君がB型肝炎って知っていたら採用していないわ。これからはうちの食器をつかわんといてな。飲み物欲しかったら、自分でペットボトルとか用意してきて。これから就職はどうする気?多分B肝の衛生士なんか雇ってくれる所ないで。私やったら絶対に雇わんもん。田舎に帰って専業主婦が一番いいんじゃない?ってかB肝やったんやー。こわー。近寄らんといてくれ。」と笑いながら離れる素振りをされました。私は、驚きのあまり、ただ「すみません」と頭を下げるのが精いっぱいでしたが、その夜は悔しくて涙が止まりませんでした。

 B型肝炎ウイルスは日常生活・業務の中ではめったにうつるものではないし、医療機関だったらB型肝炎ウイルスについてはいろんな情報が歯科医師会や、研修会などを通じて得られているはずなのだが、理解しがたい発言である。
 
 また、学校ではこうであった。
 
 学校の実習もみんなとはできず、違う部屋で1人模型相手に実習しました。学校にも「B型肝炎と知っていたら合格させていない。これからどうする?」と退学を促す態度をとられました。

 合格基準にB型肝炎ウイルスの有無を入れるとすると、学校教育法に反するのではないだろうか。文部科学省は受験生が病気を理由に勉学する場を奪われることのないよう、全国の専門学校の実態を調べて欲しいものだ。
 彼女の陳述が終わった後、傍聴席からは思わず拍手が起こり、裁判長が慌てて制止する場面があったが、傍聴者は置物ではないのだから、これぐらいの意思表示はして当たり前だと私は思うのだが。

 この日は、もう一人40歳の男性が意見陳述した。B型肝炎の発症で何度も職を変わり、収入もダウンしただけでなく家族からも孤立(妻が子どもを抱っこしたり、一緒にお風呂に入ったりさせてくれないなど)している状況が話された。

 また、井上洋子弁護士から今後の裁判の進行について意見陳述された。
 とにかく、和解の成立状況が全く遅い。資料によると、11月の途中で国へ和解資料の提出があったのが480名で、和解できたのが40名。大阪では資料提出が152名で和解が10名である。
 聞くところによると、厚労省B型肝炎訴訟担当者はたったの8名。それも兼務であるという。3ヵ月で40名しか和解できていない状況だから、現在提訴している1,937名だけでも単純計算でこれから12年もかかってしまう。裁判を起こしてから3年が過ぎるが、この間でも十数名の方が亡くなっている。国との和解が成立しても、自分の個別和解が成立する前に何人の方が亡くなるのだろうか。空恐ろしい気がする。厚労省の抜本的な体制の強化を望みたい。

 裁判の後、大阪弁護士会館で「報告集会」と「原告団会議」が開かれた。報告集会では、これまでの活動の映像とB型肝炎特措法に関する国会審議状況の上映(谷口全国原告団団長の国会での参考人意見陳述など)、今日大阪地裁で意見陳述した二人の原告の感想と担当弁護士の感想、この間の行動報告、これからの地方相談会の予定、等が話された。私も、国会議員要請行動と徳島で開かれた日本肝臓病患者団体協議会の総会の模様について少しばかり報告した。

 原告団会議では、B型肝炎特措法についてどういう態度を取るか協議された。(残念ながら衆議院では政府提出の法案が修正なく通過した。この法案の最大の問題点は、20年を経過した重症患者を給付対象から外したことであるが、賛成多数であった。この前にみんなの党がが提出した除斥期間を削除する修正案には、みんなの党共産党社民党が賛成したが少数であった。)
 総会では、原告の数が増えたので全国原告団会議の代議員が一名追加になったので選出した。大阪の代議員数は7名。

 以下は、今回初めて参加した人に感想。
○肝硬変だが初めて参加した。来てよかった。(男性)
○主人の代わりに来た。主人は30歳頃献血B型肝炎ウイルスに感染していることを知った。今は肝数値が上がっている。本当に来てよかった。主人を守っていきたい。(女性)
○肝硬変から肝がんになっている。一週間前に手術した。皆さん頑張っているので、私も一緒に頑張りたい。(男性)
○夫婦で来た。息子が肝臓がんで亡くなった。私はキャリアで母子感染であった。7年前にB型肝炎と解って4カ月で亡くなった。私の症状がない分、息子にうつしたかと思うと申し訳ない思いがする。いろいろな活動に参加したい。(女性)
○63歳だが、3年前に解った。二人の子どもも慢性肝炎。(男性)
○30歳ごろに解った。高校生のころから疲れやすかった。その頃発症したのかな。(男性)
 
 今回は土成から高速バスに乗ったのだが、明石大橋を過ぎて山間の道路の両側は紅葉でみごとであった。原告団会議を終えて淀屋橋方面に歩いて行くと、大阪市庁舎がライトアップされていた。
 帰り、バスの乗車時間まで少し時間があったので、阪急三番街近くの古書店街に立ち寄った。杉本梁江堂で見つけたのが「現代漫画大観」4冊の中、購入したのはの第十巻「近代日本漫画集」と第二巻「文芸名作漫画」であった。本の奥付を見ると発行は昭和三年。今から83年も前のものである。布の表装で箱入り。発行所は中央美術社。しかし非売品とあった。どうやって頒布したのだろうか。
 ネットで調べてみると、大空社から復刻版が出ていた。そろい(別冊を含め11冊)価格105,000円。驚いた。清水勲が監修している。大空社の紹介では、日本初の漫画全集とあった。近代日本漫画集には、石井柏亭・浅井忠・平福百穂坂本繁二郎中村不折鹿子木孟郎川端龍子などの大家の画家の名前が見える。余技で漫画を描いたのかそれとも生活のためか。
 ビゴーやワーグマンの漫画もある。この二人については、清水勲岩波文庫で詳しく紹介している。文芸名作漫画では、名作の「坊っちゃん」「恩讐の彼方に」「金色夜叉」「痴人の愛」「草枕」「平七捕物帖」「不如帰」「カチューシャ」「カルメン」の本文に1ページごとに絵を添えている。夏目漱石の「坊っちゃん」と「草枕」を担当しているのは岡本一平岡本太郎の父親である。夏目漱石岡本一平朝日新聞社に勤務していたので、こうなったのだろう。とにかく面白い本である。



 上の写真は大阪市庁舎


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
 ○与作思へば 照る日も雲る 関の小万が 涙雨
 ○与作丹波の 馬追ひなれど 今はお江戸の 刀差し