「発達障害の子どもを理解する」 小西行郎

発達障害の子どもを理解する (集英社新書)

発達障害の子どもを理解する (集英社新書)

 一昨日の第5回徳島マラソンは、強い風雨の中での開催であった。9,500人余りが走って8,000人を超える人が完走したのだからビックリした。私の様な軟弱者は、少しでも雨が降っていたら、即、ギブアップなのだが。連れ合いと時々登る大麻山で出会う人の中にも、参加すると言っていた人がいたが、彼は70歳を過ぎても大麻山を走って下る人物なので完走したのだろう。
 21日(土)に守大助さんを支援する徳島の会が、役員会の前に徳島駅前で仙台地裁に提出する守さんの再審開始を求める署名活動を行ったのだが、マラソングッズを抱えた多く人出があり翌日のマラソンに参加する人たちの熱気を感じた。
 22日(日)は徳島難病支援ネットワークの役員会があった。6月の総会に向けての準備が主な議題であった。

 「発達障害の子どもを理解する」は、「近年、発達障害と診断される子どもが急増している。その原因は、子ども自身にあるのではない。少子化など社会変化のなかで、大人の『子どもを見る目』が大きく変化したのである。それは『生きにくくさせられている子どもの増加』でもあった。」と本書のカバー裏に書かれているが、全くその通りではないだろうか。大人が生きにくい社会は、子どもにとってはさらに生きにくい社会ではないだろうか。
 難病支援ネットワークやきょうされん徳島支部の会議は、いつも徳島県立障害者交流プラザで開催される。そこでは、多くの障害児・障害者の催しが行われ、ボランティアの人を含め賑わっている。そこで見られる人たちの生活が守られるよう願うのだが、障害者自立支援法の名前を変えただけの「障害者総合支援法」の、障害者の願いを無視した中身はそれこそ国家のあり方が問われるものである。

 著者は、近年の「個別化」が単なる教育方針の変更にとどまらず、子どものあら探しや「子ども集団」の解体につながった」と批判し、「子どもの発達に対する許容範囲を矮小化し、子どもが自分で社会性を育む場を奪いながら、『社会性のない子どもが増えた』と大騒ぎしているように見える。」と語っている。
 また、親に対しては「子どものことを一番よく知っているのは親である、と自分の『見る目』に自信をもつことです。そして自分の子どもに自信をもつことです。子どもを正常か異常かで見るのではなく、何より『いいところ』を探しておくことではないでしょうか。」とも語っているのだが、自身の子育てを振り返ってみると、何の考えもなく慌ただしく過して来てしまったと思う。
 本書を読んで、きょうされんの作業所に通ってくる人を見ると千差万別で、スタッフも大変だが親も大変だったなと感じる。それでも、子どもが中心で、彼らが何を考え何を望んでいるかを発想の出発点にすることが大切なのではとも思う。
 同じ子育ての仲間と交流する、信頼できる医療スタッフを見つける、大変な時は外に援助を求める等して、発達障害(?)の子と向き合うことではないだろうか。



 徳島駅前で署名行動の後、写真撮影。守さんあての手紙に同封した。


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
 ○黄鳥(うぐいす)を 留めてしっぽり 楽しむ梅を そっと見ている 野暮な月
 ○美しく咲く 彼(あ)の薔薇さへも 花に隠れた 刺を持つ
 ○野辺の茅花(つばな)も 時節が来れば 人の眼に附く 花が咲く
    茅花(つばな):ちがや。その花。