中国旅行4 九寨溝・黄龍・成都・楽山大仏とB型肝炎訴訟

 成都から楽山市に行く時、高速道路を利用した。距離は160㎞ほどある。その途中にトイレ休憩のために、眉山というサービスエリアに立ち寄った。ここは現在拡張工事をしていて、大きなものになるようだが、トイレは仮設であった。
 入ってみると、扉もない所で便器に座り、目の前でこちらを向いて大をしている人がいる。聞いてみると女性の場合はドアはあるが上半身が見える形になっているという。通常もこの形なのか、仮設なのでこうなのか、現地ガイドの蒲さんに聞きそびれてしまった。残念。成都への帰り道再度ここに立ち寄ったが、さすがにこの時は女性の利用者はいなかった。中国全体の高速道路ではどうなっているのであろうか。北京や上海のような都市での高速道路では、仮設でもこういうことは無いのだろうか。確かめてみたい。
 中国では、レストランやホテルには必ずと言ってよいほど、唐詩や宋詩、魯迅郭沫若毛沢東などの現代の著名人の詩などが掲げられている。しかし、日本では万葉集古今集源氏物語、俳句などをそこで見ることはめったにない。残念。

 下は楽山市のレストランで撮影。王維 の詩である。彼(701年?〜761年)は盛唐の著名な詩人である。

 下の詩は大変有名な詩。王維は熱心に仏教を信じていたから、仏教都市である楽山市のレストランに掲示されたのであろうか。
 

  送元二使安西

 渭城朝雨裛輕塵

 客舎逭逭柳色新

 勸君更盡一杯酒

 西出陽關無故人

 恩師である松浦友久先生の著書(唐詩 心のリズム 社会思想社)をお借りした。

  元二の安西に使いするを送る
  渭城(いじょう)の朝雨 軽塵を浥(うるお)し
  客舎(かくしゃ) 青青(せいせい) 柳色 新たなり
  君に勧む 更に尽くせ 一杯の酒
  西のかた 陽関を出ずれば 故人無からん

 (日本語訳)
  渭城のまちに降る朝の雨は、軽やかな黄土の塵をしっとりとぬらす。
  旅館のかたわら、青々と茂る柳の木々は、雨に洗われて、目にしみるような新鮮さ。
  君に勧めよう。もう一杯、この酒を飲みほしてくれたまえ。
  西のかた遠く陽関を越えてしまったなら、もうともに酒をくむ親しい友もいないだろうから。


 どうも、先ほどのトイレとこの詩のギャップはすごい。


 どういうわけか、写真が縦に入らない。ご容赦を。
 2,900mの高度の黄龍のロープウエイに乗り、降りたところが3,470m。降りたところに案内版があった。英語・日本語・韓国語・フランス語でも表示されている。中国語は「乗索道由此去」とあるから、「ロープウエイに乗るにはこちらから行く」という意味だと思うのだが、なぜか日本語では「このようにロープを取る」と書いてあった。ロープウエイのような太いロープはとても手には握れない。



 昨日(8日)は、大阪地裁でB型肝炎訴訟の裁判があったので参加した。202号法廷が一番大きいようだが、今回は傍聴者が入りきれず、原告席も弁護士席にも詰め込んで100人は越したのだろうか。資料を120部用意したが足りなかったようだ。
 2人が訴えを行った。1人は男性で肝がんになり、現在治療中。19歳で発症して大学も2年休学、勤めてからは働き盛りに悪化して、自分自身でスタッフ職に降格させる人事案を作り、部長職から降りた。そして、国の対応が遅いとして「和解資料を集めるのは、原告にとって大変負担が大きいものです。私は、提訴後4カ月になろうとしておりますが、国からなんら返事がございません。私には、残された時間はそんなにあるとは思えません。時間との闘いが始まっております。」と陳述した。
 2人目は女性。65歳のこの方。3人の息子がいるが、本人が予防接種のためにB型肝炎ウイルスに感染し、3人の子どもにも母子感染をしてしまった。彼女と3男は肝硬変。彼女はこう陳述している。「肝硬変に進行した時、私は『死に至る病』に取りつかれたという思いでいっぱいでしたが、今や、その段階はまた一歩進み、肝ガンという状態が目の前にある、もう、私は本当に永くはないという恐怖にさいなまされている毎日を送っております。」「B型肝炎は35歳を過ぎれば自然治癒は見込みづらいと聞いています。子供たちは皆、35歳を超えております。この先、子供たちが肝ガンへ進展するのではないか、そのことが心配でなりません。」と訴えた。
 昨年、B型肝炎訴訟の解決を求めるために、何回も国会議員への要請行動をおこなったが、ある時徳島選出の国会議員の古い秘書と話した時、「厚労省の人は自分の方こそ被害者であると語った」という。確かに、彼らの大先輩が放置したため被害が拡大し、このような大型訴訟になり、そのしりぬぐいをさせられるのはたまらないとは思うのは当然だが、全く死を目前にした被害者である私たちの真情を理解しない独善的な考えである。こういう官僚が仕切る行政であるからこそ、被害者や患者の持続的な運動が、事態の変更への大きな役割を果たすことができるのであると思う。
 裁判傍聴後、裁判の報告会議、原告団会議が開かれた。どこでも、原告の積極的な発言がされた。
 大阪地裁提訴の原告総数は929名(被害者数は867名)被害者数のうち、死亡58名、肝ガン162名、肝硬変76名。、慢性肝炎419名、キャリア152名である。和解成立はまだ86名。1割にも満たない。裁判では、今後毎月300名程度の和解を目指したいと国は答弁したが、原告側は毎月300名を越える被害者が提訴する見込みであると言う。そう考えると、現状では和解まで6ヵ月以上はかかることになり、もっとかかることも考えられる。国が更に和解のための条件の簡素化を図ることが求められる。大阪の原告867名のうち58名の方が亡くなられている。その内11名が提訴後の死亡である。
 もっと早く、和解処理を。



俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
○伊達を放(こ)いても 自慢を放(こ)くな 自慢放(こ)くよな 器量で無い
○大小差したる 旦那さんよりも 似合ふた百姓の 殿が好い
○旦那様より 奥様怖い 白眼黒眼で 睨まんす