上海 と 「上海  多国籍都市の百年」

 来年一月に千葉県日中友好協会主催の「第一回体験中国語研修15日間」に参加することになった。なぜ、徳島の人間が千葉からと言うと、理由は簡単。千葉の松戸に住む兄が2回北京での同じ研修会に参加していたから、便乗していくことにした。
 参加予定者を見て驚いた、総勢17名(女性は一人)の平均年齢が69歳で、最高齢は81歳であった。私なんぞは平均以下であった。
 期日は1月14日から28日まで。場所は上海大学で、宿舎は構内にある「楽乎楼」。宿舎の名前は、論語「学而篇」の下の語句によるものだろうか。


 「学而時習之。 不亦説乎。 有朋自遠方来。 不亦楽乎。 人不知而不慍。 不亦君子乎。」
 子曰はく、「学びて時に之を習ふ。亦説ばしからずや。朋有り遠方より来たる。亦楽しからずや。人知らずして慍みず。亦君子ならずや。」と。

 午前中3時間ほどの中国語会話の授業、午後は自由時間で、土日は休み。自由時間を使ってあちこちを散策したいものだ。魯迅の生家がある紹興が近いので行ってみたい。




我が家の絵馬「遠野」 購入日・場所不明



 そこで、ぼちぼち上海の歴史文化についても学んでいる。


上海 - 多国籍都市の百年 (中公新書)

上海 - 多国籍都市の百年 (中公新書)



 イギリスが中国侵略で上海を「租界」設置してからの100年の歴史を記述している。上海は、中国の歴史ある他都市と違って、外国人の手によって建設され発展した都市である。著者は「上海がたどった道のりは、列強の半植民地状態から民族の独立とへという、近代中国の苦難の歩みをそのまま反映していた。」と記述しているが、まさにそのとおりの都市である。イギリス人、アメリカ人、ロシア人、日本人、ユダヤ人たちが、どう上海を支配しその中で生きてきたか、中国人はどうであったか、興味深い。
 幕末維新時代の日本にとって、当時の上海は西洋との窓口であった。高杉新作も上海に行って(1862年6月)「遊清五録」という日記にその間のことを書いているようだが読んではいない。

 調べて見たら、我が家の書棚にある「上海」が頭に付いた本は13冊。全てを読んだわけではないので、上海に行くまでにはもう少し知識を得ようと思う。



俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
○倉を建てよと 上戸となって 老の旅路を 菰被(こもかぶ)り
○酒は呑み度し 酒手(さかて)は持たず 酒屋看板 見て戻る
○お酒呑んでも 叱るな爺(おやじ) 叱る爺も 呑みたがる