「震災から学ぶ患者支援」

 車がうっすらと白くなっている。どうやら黄砂がたくさん我が家にも飛来したようだ。クシャミもだいぶ出た。花粉の飛来も多い。
 昨日(3月10日)は、徳島難病支援ネットワークの主催による、「震災から学ぶ患者支援」の会があり参加した。
 これは、明日で満2年になる東北大震災を受けて、難病患者が大震災に遭遇した時どうすればよいのか考えるための企画であった。会のサブタイトルは「患者会としての支援構築を考える」というもので、県内の難病患者団体をはじめ香川・愛媛・高知からも参加があった。
 基調講演は「東日本大震災と当事者団体の活動に携わって」と題して阿部一彦さん(被災障害者を支援するみやぎのかい代表・仙台ポリオの会会長・財団法人仙台市障害者福祉協会会長・東北福祉大学総合福祉学部教授 他にもいろいろ障害者団体に関わる肩書きがあって、大変幅広い活動を行っている)が話しをした。
 きょうされんの会議でも指摘されてきたことだが、東日本大震災の死者・行方不明者は18,754人(死者15,880人、行方不明者2,894人)のうち、水死が9割以上で、死者の内60歳以上が65%であった。しかも、注目すべきは障害者の死亡率は住民の死亡率の2倍になっていること。難病患者も含め震災弱者の生命を守ることは、障害者団体・難病患者団体にとっては、喫緊の課題となっている。国や県もそれに向けての対策を考えてきてはいるが、なかなか決め手となる対策が立てられていないのが現状である。
 話の中で、神戸市では「災害時要援護者支援条例」が制定され4月から施行されることになっていることが紹介された。条例では、「今後, 更なる高齢化に伴い誰もが要援護者になり得ることを踏まえ, 住み慣れた地域で安心して住み続けられる共助の仕組みが必要となっている。そのためには, 日頃の見守りや支え合いを基にした, 災害時要援護者と支援を行う人が交流して信頼関係を築くことが大切であり, 地域における様々な団体や事業者等が参加・連携し, 日頃の付き合いや活動が防災・減災につながる地域の取組が期待されている。」として、その目的を「第1 条 この条例は, 要援護者が災害時において迅速かつ安全に避難をし, 及び安心して避難生活を送るために必要な事項を定めるとともに, 市の責務並びに要援護者支援団体, 事業者及び要援護者の役割を明らかにすることにより, 要援護者が安心して暮らすことのできる地域づくりの推進を図ることを目的とする。」と明記している。
 1995年1月17日の神戸淡路大震災(私も3日間支援活動に行った)から18年経過してようやく成立した、この要援護者支援に特化した条例は全国的初めてで、遅かったともいえるが全国に広まり、弱者が救済される仕組みとして機能してほしいと思う。
 条例でも講師の話でも「個人情報保護条例」が救済の時の大きな壁になっていることが指摘されている。また、自分や家族の障害や難病を他人に知れれたくないと言う方も非常に多い。プライバシーよりいのちが大事だと思うのが、大震災に合った運用が求められると思う。患者団体・障害者団体・関係自治体などでの話し合いが必要ではないか。そのためにももっと積極的にこれらの団体を計画策定段階で協議の場に入れて、彼らの実態に合っためきの細かい対策が立てられるよう行うことが大切ではないか。
 昨日は、徳島県看護協会からは「福祉避難所の支援に入って」、徳島保健所からは「被災住民の命と健康を守る取り組み」、徳島県薬務課からは「災害時の医薬品供給体制について」、実際に災害支援に行った経験を踏まえて、徳島県ではどうするかという話もされた。
 4人の話を聞いた後、3グループにわかれて、討論した。
 このような話が何度もされて、また震災の模擬体験等も行う中で、徳島県の対策が進んできてほしいと感じた半日であった。




我が家の絵馬 香川・金毘羅




俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
○添うて添へない 殿御もあるに 添はで思ひの 増すもあり
○こなた思うたら これ程痩せた 一重廻りが 三重ほどに
○人目思はず 人さへ知らにゃ 織って着しよもの 竪(たつ)縞を