県庁訪問と「漢語からみえる世界と世間」

 18日(水)は午後から大阪から来た弁護士二人と、県庁の感染症・疾病対策室と11月16日(土)に行われる、医療講演会とB型肝炎特措法説明会・無料相談会の打ち合わせのため、講師の玉木克佳先生を訪問した。
 県庁では稲井室長と板東室長補佐と面談した。11月16日は県から医療費助成制度についても話して頂くことになった。徳島では、4月から肝炎ウイルスの無料検査が医療機関でも行われることになり、受検者が増えてきている。今後も受検者が増えることが肝炎撲滅の大きな一歩となると考えている。この間、関西肝炎フォーラムや恒久対策会議で論議してきたことも紹介し、徳島の肝炎対策が進むことを期待したい。

 本書は2005年に刊行されたものの文庫版。
 前書きで、「本書では、千年以上の前に日本語に大量に流入してきた中国語である漢語と、根っからの日本語である和語との比較、あるいは現代中国語と日本で通用している漢語との比較を通して、逆説的ではあるがことばでは語りつくせないことばのもつ奥深さを垣間見るきっかけを提供したい。」としている。
 とにかく、私の能力では理解しがたい内容が多くあった本であった。岩波書店の「もっと知りたい!日本語(第II期) 」 全5巻のうちの一冊で、他の本は、
 ○ささやく恋人,りきむレポーター (定延 利之)
 ○なぜ伝わらない,その日本語 (野田 尚史)
 ○方言が明かす日本語の歴史 (小林 隆)
 ○外国語として出会う日本語 (小林 ミナ)

 第4章「ずれの背景」で、李白の「静夜思」を取り上げている。
  牀前看月光  牀前(しょうぜん) 月光を看(み)る
  疑是地上霜  疑うらくは 是(こ)れ地上の霜かと
  挙頭望山月  頭(こうべ)をあげて 山月(さんげつ)を望み
  低頭思故郷  頭を低(た)れて 故郷を思う

 大意として、
 牀(ベッド)前で月明かりをみた。地上(床の上)に霜が降りたのかと思うほどである。頭をあげて山月をながめ、頭を垂れて故郷を思う、とし、「月」は、異郷にある自分も、故郷にいる肉親もひとしく照らすので、故郷を思い出す機縁となるものである、としている。
 ここで面白かったのは、友人Sから「『ベッドの前』ではなく『ベッドのへり』と訳すべきだと忠告を受けた。<牀前> と<牀上>とどう異なるのかという私の質問に、Sは<牀上>はベッドに一人で寝てもよいけれど、<牀前>は誰か他の人がベッドを占領している感じがすると答えた。唐の時代の詩を現代中国語で解釈することは危険ではあるが、Sの指摘が正しいとしたら、例によって泥酔した李白が、顔にあたる月の光で目覚める、気がつくと、横に人(女性?)が寝ている、そこで故郷にいる妻に頭を垂れて『ごめんなさい』といっている、と読めないこともない。」
 ううむ、こんな解釈も面白く酒好きの李白にあったかもしれないという思いはするが、当然そうではない。




我が家の絵馬 東京・湯島天満宮  2001年6月26日購入



どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○思い出すよじゃ おろかでござる 思い出さずに わすれずに
○あの人のどこがいいかとたずねる人に どこが悪いと 問いかえす
○一寸も はなれまいぞと思うた仲は 主も五分なら わしも五分