北京短期語学留学⑧ 忙しすぎる

 2月11日・12日に仙台に行って来た。仙台北陵クリニック筋弛緩剤冤罪事件(詳細は http://homepage2.nifty.com/daisuke_support/)の全国連絡会の代表者会議があり、私が守大助さんを支援する徳島の会の会長をしているので参加した。全国から57名の参加であった。
 11日は朝4時起きで、バスで徳島から大阪空港まで行って、仙台空港に着いたのが11時すぎ。すでにへとへとであった。
 仙台は70数年ぶりの大雪だったそうで、たくさん雪が残っていた。11日の代表者会議のあとの懇親会で、肝炎署名のお願いをして25筆の協力を得た。代表者会議では、これまでの経過報告やこれからの取り組みが話され、阿部弁護団長から最近の三者協議をめぐる状況が報告された。私も2月8日の第9回総会を含め、徳島の取り組みを報告した。
 翌日は、仙台地裁検察庁に対して、再審開始決定や全証拠の開示を求める要請を行った。私は検察庁への行動に参加したが、今回が初めて部屋を使っての話であったが、人数制限5名であった。もっと多くの人から意見を聞いて欲しい。下川徳純検事正に対し、「仙台北陵クリニック・筋弛緩剤冤罪事件の証拠開示に関する要請について」という文書を手渡した。
 要請では、参加者全員が発言したが、私は徳島での取り組みについて話をした。要請文では「本件では確定審での事実調べが極めてずさんであったことから、再審開始にあたってすべての証拠を明らかにし、基本的な事実調べを行うことが不可欠です。」と指摘している。 
 検察庁への要請行動の後、守さんのお母さんも含め仙台の繁華街で20名の参加で再審開始を求める署名行動を行った。仙台はさすが人が多いですね。平日の11時過ぎなのにいっぱいであった。
 署名を終わり、仙台駅に向かって歩いていると、なんだか見たことがある色の署名を持って、協力を呼びかけている人たちがいた。近寄ってみるとB型肝炎訴訟東北弁護団の方たちでした。テレビの取材もあった。仙台に行った記念として、署名をした。とにかく、各地で頑張っている姿を見て勇気をもらった。
 我が家に着いたのは午後9時。


宣伝行動が終わり皆で写真


 北京8日目(1月14日・火・晴れ)は6時40分に起床。朝食は西紅柿ラーメン。朝、テレビを見ていると、小さなスーパーでは計りの偽装があり、磁石を計りにつけて重くして、2割引と称して実際は定価より高く販売していたという。インタビューに応じた市民は、これからは大きなスーパーで買うという。
 テキストの16課(京劇を見たことがありますか)、相約(約束)の勉強。授業中に相声(中国の伝統的な話芸の一つ。話術や芸で客を笑わせる芸能である。日本の寄席演芸に例えると、漫才に相当する。)で有名な侯宝林のDVDを見せられた。彼らの話が分かり、笑うことができたら、中国語合格ということになるが、さっぱりわからない。
 二人が向かい合ってそれぞれの紹介をした。一人あまりになったので私は老師と会話。彼女には兄がおり、兄は警察官で昨年同じ警察官の彼女と結婚。勤務は夜勤もありすれ違いだが、来年には子供が欲しいと言っているそうであった。
 昼食は李先生快餐連鎖店という店でとった。ここは料金先払いであった。



若かりし頃の魯迅

 その後、魯迅博物館に行ってきた。国家図書館で地下鉄に乗り、西直門で2号線に乗り換え阜成門で下車。徒歩5分ほどかかった。入館料は無料。魯迅に関する展示物がいっぱい。魯迅の没後20周年を記念して開館され、魯迅の蔵書13,000冊や書簡などが展示されている。魯迅が暮らしていた四合院(北京地方の標準的な住宅で、四角い庭を囲んで4棟の建物が建てられている。魯迅も弟夫婦の周作人・周建人とここで暮らしていた。)
 DVD民族魂と魯迅蔵・南中国郷土玩具集と北中国郷土玩具集を購入。その後西単に戻り北京図書大shaで中国俗語辞典(36元)を購入した。

 夜はタイ族料理(金孔雀)で5人で食事。41元であった。



我が家のだるま  高崎だるま 30cm


どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○赤い顔して お酒をのんで 今朝の勘定で 青くなる
○好きと嫌いが 一緒に来れば ほうき立てたり 倒したり
○色が黒うて 惚れ手がなけりゃ 山の鴉は 後家ばかり