「臥春」と「戦争案内」戸井昌造

 日曜日(6日)は連れ合いと北島シネマサンシャインに映画を見に行った。題名は「サクラサク」。認知症の父親を持つ主人公が、仕事一辺倒の生活から父親を通して家族との絆を取り戻すといった展開になっている。仕事中毒にされているエリートサラリーマンが人間性(?)を回復させる。私は老親と一緒に暮らすことがなかったので、その介護をする人たち(私にとっては兄夫婦)の苦労を知らずにきたので、少しピンとこない所もあった。嘗て父親が見た福井の満開の桜の大木の姿が、主人公の父親の姿と重ね合わせられているのだろう。

 7日(月曜日)は久しぶりに大麻山を登ってきた。往復1時間50分の階段の多い山道は足にこたえた。このごろは何かと忙しくて行く機会がなかったので仕方がないか。

 昨日(8日)は、月曜日の中国語教室の先生一家と連れ合いを含め5人で食事をした。久しぶりの外食を楽しんだ。中国語教室で先生が紹介したのが、表題の「臥春」という詩である。宋時代の陸游(1125年〜1209年)作と言われているようだが、そうではないらしい。岩波書店の中国詩人選集二集(一海知義注)に陸游の詩がまとめられている。彼は生涯2万首作ったと推測しているが、官途と結婚には恵まれなかった。巻頭には彼の生地の紹興の写真と彼が書いた書が掲載されている。
 中国東北地方の先生が東北訛りで発音した「臥春」が、学生が聞いて書写したら別の詩(?)になったという。ピンインが同じでも四声が違うととんでもないものになるので、中国語学習の教訓としているようだ。



《卧春》

暗梅幽闻花
卧枝伤恨底
遥闻卧似水
易透达春绿
岸似绿
岸似透绿
岸似透黛绿

 春の気配を書いているのだろうが、どう訳したら日本語らしいものになるのか分からない。だれか教えてほしい。

《我蠢》
俺没有文化
我智商很低
要问我是谁
一头大蠢驴
俺是驴
俺是头驴
俺是头呆驴
俺是头呆驴

 私はバカ

 俺には知識がない。
 私の知能指数は低い
 もし私が誰かと聞かれたら
 私は一頭のうすのろのバカやろう
 おれはロバ
 おれはロバ
 おれはまぬけなロバ



戦争案内 (平凡社ライブラリー)

戦争案内 (平凡社ライブラリー)

 1986年7月に晶文社から出版されている。ウィキペディアでは下記のように簡単な紹介しかされていない。
 早稲田高等学院在学中に学徒出陣で中国に赴任。敗戦により捕虜となった後に復員し、早稲田大学に復学するが中退。
人形劇団プークでの民主主義的文化活動などを経て画家となる。それと並行して日本の民俗史や民衆史などを研究。特に秩父事件の研究では第一人者とされている。2000年4月、胃がんにより死去。77歳没。
 しかし、読んでいて感じることは彼の20歳から23歳までの戦争体験が、戦後の彼の生き方に大きな影響を与えていて(当然であるが)、平凡社版の後書きに「私は、私なりに権力の横暴に抗し、社会の不正と闘い、戦争への道を赦さない行動をしてきたから、もうちょっと明るく希望的な老後が来るはずだと思っていた。ところがこのままいけば、未来は明るいどころか、大変なツケを次代に残してしまうことになる。この本が、過去のいまわしい戦争の単なる記録として出なく、今の日本のおぞましき事態を変えていくきっかけにちょっとでもならないだろうか。そういうふうに読まれてこそ、この本が再刊された意義があるということではないだろうか。」と記している。
 安倍首相が憲法解釈を恣意的にして集団的自衛権の行使を行おうとしているが、昨日東京で集団的自衛権の行使容認を狙う安倍晋三内閣に「ノー」を突きつける「解釈で憲法9条を壊すな! 大集会」(主催、同実行委員会)が開かれている。
 ノーベル賞作家の大江健三郎氏が、「67年前に日本は新しい時代の方針をつくった。この新しい憲法です。戦争はしない、民主主義という新しい時代の精神です。時の政府がぶち壊そうとしている、新しい時代の精神を守るためしっかり歩きましょう」と語った。
 戸井さんが懸念したことがどんどん進んできてはいるが、それを押しとどめようとする力も良識も健在である。



我が家ののごみ人形(佐賀県鹿島市


どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店)入門
○きぬぎぬの顔にひびいた時計のかずを ひとつかくすも恋のよく
○外に瓦斯燈内にはらんぷ 人の車の三筋街
○いきな散髪小いきな坊主 まげのあるのは二た心