魯迅蔵「中国郷土玩具集」と「日本共産党の深層」、肝炎署名

 肝炎署名の取り組みが進んできている。個人署名の数はまだ集約されていないが、5月20日には国会議員への要請行動を行なうことになっている。この署名に対し国会議員が紹介議員になることを承諾した数が169名になった。政党別には、自民党65名、民主党35名、維新の会20名、共産党19名、公明党8名、結いの党5名、みんなの党5名、新党未来5名、社民党4名、生活の党2名、大地・改革・みどりの風各1名、無所属2名。また、地方議会での意見書採択は182議会、対象人口84,597,436名になった。是非国会で請願が採択されるよう望んでいる。
 

 5日(月)はこどもの日、とはいっても子や孫は帰って来なかった。連れ合いは風邪気味のため、静かに療養。6日は知り合いが入院しているためにお見舞い。昨日は頼まれた急用ができて明石まで行って来た。高速道路は連休が終わったので空いてはいたが、やはり疲れる。 今日は、昨年10月の日本国民救援会徳島県本部大会の池田正行先生の講演をパンフレットにするために、印刷屋に発注に行って来た。仙台地裁の理不尽な再審請求棄却を受けて、さらに守さんの無実を知らせるための行動の一環である。1時間半程度の話をB5版16ページ(表紙も含め)にまとめた。

 今年1月に北京に行った際北京魯迅博物館を見学した。魯迅の人となりがしのばれる展示が多くあった。北京市の阜成門内西三条の魯迅旧居の東側に博物館はある。昔の北京の面影が少しは残っているようで、ビルばかりが建ち並びせわしく人が歩く中心街とは雰囲気が違っていた。そこで売っていたのがこの2冊である。今から40年余り前、「版画集 愛と怒り」(ケーテK・コルビィッツ  岩崎美術)を買った。魯迅の雑文に彼女の版画が紹介されていたのであった。彼女の版画を刊行もしている。

 魯迅は若手芸術家の育成にも熱心で、版画についても力を入れていた。内山書店の内山完造の弟の内山嘉吉を日本から呼んで版画の指導に当たらせたこともある。本書の解説によれば、1931年8月17日に青年版画家のために夏季版画講習会を開いて、当時成城学園の美術講師の内山嘉吉を呼んだそうだ。
 魯迅は日本の版画作家の棟方志功川上澄生など世界各地の版画を収集して、その数は2,000枚、作家は300人余りにのぼっている。この2冊は魯迅が集めた中国の若い作家の作品集である。

 本書の帯には、『「原発再稼動反対、ブラック企業告発、平和憲法堅持」の共産党が政権を狙う日』とあった。日本共産党は長い低迷を続けていたが、ようやく社会的にも再認識されてきているようだ。共産党の幹部だけでなく、この間の選挙で国会議員になった吉良よし子も取り上げて、その元気さを伝えている。どの政党も老齢化して若者の政党離れは深刻である。若い人に魅力のある政党作りが求められている。若い人は政党離れはしているが政治離れはしていないのではないかと、本書を読んで感じた。愚直に国民の利益のために働こうとしている姿が、伝わってきた。
 著者は、日本共産党が目指す社会を綱領の一部を引用して以下のように紹介している。
 「社会主義共産主義の日本では、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが、受けつがれ、いっそう発展させられる。」
 「さまざまな思想・信仰の自由、反対政党を含む政治活動の自由は厳格に保障される。」
 今の中国とまったく反対の姿勢である。日本共産党が目指すものと現在の中国共産党の目指すものは相容れない。
 それにしても最近では、自民党寄りの財界人、自民党の元大物政治家が何人も赤旗日曜版を読むと登場してくる。共産党がそれらの人に近づいてきているのか、それとも共産党の考え方が本来そうであったことを、多くのまじめに政治・経済を考える人が理解し始めたのか、興味のあることである。
 本書、校正ミスが目に付く。せっかく、社会的に意義ある本を多く出版しているのだから、編集者の力量向上を求めたい。


どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○野辺の若草踏みつけられて 萌ゆる思ひのたえまない
○公議輿論でかうなるからにや わたしばかりの愚痴じやない
○二十三年そりや大馬鹿よ 善は急げと書いてある