文学特別展「北條民雄」と「望郷の日々に 北條民雄いしぶみ」

 駒ヶ根の次女と孫が昨日(21日)、連れ合いの付き添いで帰っていった。早速、掃除と洗濯を始めた。なにしろ5歳と8ヶ月の2人の孫と猫が2週間あまりもいたので、大変であった。9時前から始めて汗だくになって12時過ぎまでかかってしまった。

 昼食を済ませて、徳島県立文学書道館で開かれている文学特別展「北條民雄」を見に行ってきた。北條民雄については、「孺子の牛」(2008年5月刊)の「18.婦人家庭百科事典」と「ブログでB型肝炎訴訟 孺子の牛 其の2」の「69.すべての新生児にB型肝炎ワクチンの接種を」でふれてきた。
 徳島県立文学書道館の特別展の「ごあいさつ」では、「今年は徳島県阿南市出身の作家、北條民雄が生まれて100年に当たります。民雄はハンセン病にかかりながらも文学を志し、川端康成に才能を認められ、名作『いのちの初夜』を生み出しました。 中略 この『北條民雄展』では、民雄の作品や日記、川端康成との往復書簡、また当時の隔離病院の様子がわかる資料などを通して、わずか23年という民雄の短い生涯に光を当てました。」と紹介している。
 川端と北條の交流が多くの書簡の往復で明らかにされている。また、多磨全生園の様子やハンセン病に罹患した患者たちの様子が詳しく展示されている。北條の著書とともに彼についての評伝も置かれて販売されていた。


 私が「いのちの初夜」を読んだのは、今から36年前のこと。角川文庫版であった。特別展では北條の本名も明らかにされている。遺族が承諾したのであった。今年8月1日に阿南市文化協会から「阿南市の先覚者たち 第1集」が刊行された。先覚者の一人として北條民雄も入っている。彼の出生についても詳しく書かれている。

 彼の評伝で読んだのは、岸文雄の本であった。彼は「徳島作家」の同人で、北條について1980年に「望郷の日々に 北條民雄いしぶみ」と題して書いている。その中で、北條の出身地を特定している(ただしここでは地名は明らかにさせていない)。
 岸は、本の最後に「しかし、彼の実名、生地などが、彼が没して40余年の歳月が流れてなお明らかにできないという、この現実こそ、当時の悲惨極まりない収容施設の様相以上に、冷酷無残な現実であり、むしろ病的と言うべきではないだろうか。」としている。本書の再刊を望みたい。 
 ハンセン病に対する偏見・差別の重さが、彼の生誕100年になってようやく「阿南市の先覚者たち 第1集」と言う形で晴らされたのである。



我が家の郷土玩具  会津張子  雲竜  1987年11月購入


どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○ろじのほそみちしのぶのみどり 半分づつのむ酒の味
○人のこひしさはじめて知って かなしく見なほす月の色
○二十五までは親兄弟 あとはあなたにやる命