孫の来徳と沖永良部島

昨日(29日)、茨城県の水戸から孫がやってきた。初めての一人旅であった。長女が子供3人(中2、小4、6歳)を連れてくる予定だったが、小4の孫娘が39度近い発熱をしてしまったので、中2の彼が一人でやって来たのだった。彼は水戸から常磐線で上野、JRで東京に来て、新幹線で岡山まで、その後マリンライナーで瀬戸大橋を渡り高松まで乗り継いでいる。9時間ほどかかっている。連れ合いと二人で高松まで迎えに行ったが、無事につくか心配であった。
 時間待ちの間に諸国民芸を扱っている福田屋に立ち寄って、写真のものを購入した。高松・宮内張り子の3代目、永井節子と太田みき子の作品である。

 私が、初めて遠くに旅行したのは小学4年(1955年)の時であった。その時は従姉(鹿児島県の沖永良部島から、東京の大学に進学して大田区馬込の我が家で一緒に住んでいた)が夏休みに帰る際、私と双子の姉を連れて沖永良部島に行ったのであった。もう今から59年も前になるのだろう。
 東京駅から夜行の蒸気機関車寝台特急あさかぜ(?)に乗って一昼夜はかかった。鹿児島港から船で行くのだが、奄美大島の名瀬や亀徳に立ち寄り、これも一昼夜はかかっただろう。沖永良部島には大きな船(とは言っても1,000トンほどであったが)が横付けできる桟橋もなく、沖合に停まっている船に向けて、小さな桟橋から小さな艀が大きな波に浮き沈みしながら向かってきて、ようやく横付けにされる。波が荒い。艀が沈み、波が頭のはるか上に見える。怖かった思い出がある。


叔父の店の前で撮影。楽しい夏休みであった。この叔父夫婦は今も健在である。時々、電話もかかってくる。ありがたいことである。



我が家の郷土玩具  滋賀・小幡土人形   鯛抱狆 1993年12月21日購入


どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○さめりやとなりはわけある二人 野暮をくすぐる壁一重
○追われる仕事仕事のメモに やつぱり逢う日は書いてある
○それでなくても粗末な恋へ そろそろ秋風それつきり


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