「華氏451度」(早川文庫)と義弟宅で食事、義父のこと

 年末に、「華氏451度」(早川文庫 レイ・ブラッドベリ)を読んだ。焚書坑儒の話である。書物は、自分で考え・判断する力を養うので、為政者にとっては危険なもの。ということで、凡ての本とそれを所持している者を焼いてしまうのである。自然な感情さえも持つことが許されない。無味乾燥の画面を見続けさせられるのである。そこに自分の安らぎをえるのである。自公政権の本質が、60年も前のSFに描かれていると感じさせられた。
 著者は、こう書いている。
 「われわれは来週、来月、来年と、多くの孤独な人びとに出会うことになるだろう。彼らに、なにをしているかとたずねられたら、こう答えればいい。われわれは記憶しているのだ、と。長い目で見れば、それがけっきょくは勝利につながることになる。そしていつの日か、充分な量を記憶したら、史上最大のとてつもなく巨大な蒸気ショベルをつくって史上最大の墓穴を掘り、そこに戦争を放りこんで埋めてしまうんだ。」

 元日は、義弟(下の)家に行って新年のあいさつをした。昨年末に結婚した甥夫婦も来ていた。昨日は、これも義弟(上の)の家で、楽しく飲んだ。甥夫婦(大阪在住)が2歳の子供を連れてきていた。子供の元気な様子明るい声を聞いていると、心が楽しくなる。姪(大阪在住)は出産直前のため、残念ながら来れなかった。義弟と叔母さんは、30歳にもなる息子にまでお年玉をくれた。恐縮である。
 孫と息子は今日の午前中、それぞれの家に帰ってゆく。

 9年前の正月1日は大変だった。「孺子の牛」には「正月早々の葬式」と題して、こう書いた。
 「今年の正月は一日から大変だった。一日に帰ってきた長女一家と息子とで、新年の挨拶に義父の家に行った。午前中は一緒におせちなども食べたり写真を撮ったりして元気だった義父が、突然亡くなったのである(1921年11月生)。除夜の鐘まで、例年通りつきにいったのである。3時まで元気だった義父を、6時になって義弟が夕食ができたので、寝間に呼びにいったところ、ベッドで倒れていたというのだ。義弟に呼ばれてあわてて駆けつけたのだが、脈をとっても全く感じることができず、顔色も幾分白くなっていた。救急車を呼んで病院にいったが、形式的な処置を行っただけであった。」
 正月1日はこういうわけで、私達にとっては特別な日なのである。

 晩年、義父は短歌と絵を楽しんだ。歌集「光十字に」を出版している。編集・出版は私が担当した。
 ○遠くより賽銭投げて群衆の頭拝めど今年もよろしく


 ○大吉を結んで春の声を聞く 今年一年も明るき歳に


どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○負けるが勝ちだと妻は手をつき 昔の女をしのぶ秋
○男やもめでいる気はないが ばかによく似て寝つかぬ子
○ぬるい番茶に過去しがらみを みんな薄めて祖母達者


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