B型肝炎訴訟裁判傍聴と守大助ニュース製作

 昨日は大阪地裁でB型肝炎訴訟の期日であったので参加した。基本的には2ヶ月に1回開催されており、2010年10月29日の期日以来毎回傍聴参加している。大阪地裁に行くには地下鉄淀屋橋駅を降りて、大阪市役所の前を通って行くのだが、この日も橋下市長の大阪府構想に反対する人たちがチラシを配布している。橋本という人物は弁護士なのだが、私たちを支援してくれるB型肝炎訴訟弁護団の皆さんとこれほども違うのかと呆れてしまう。民主主義のかけらもない独裁者というのが私が抱く彼への感想だ。
 この日で、全国B型肝炎訴訟に加わっている原告13,902人の内、9,507人が国と和解した。大阪原告団では、2,806人の原告の内2,164人(内この日の和解は113人)の和解であった。
 この日の傍聴席はわずかだが空席があった。原告の皆さん、年度末で忙しいのだろうか。2人が意見陳述をした。
①43歳女性で看護師・保健師
 看護学校を受験するときの健康診断でB型肝炎ウイルスに感染していることを知った。看護学校では感染していることを告げると離れていった友人もいた。就職した後正直に病気のことを告げたところ、私だけ紙コップを持ってきてと言われた。少しずつウイルス量が増えてきて心配。母親は、集団予防接種を受けさせたことで自分自身を責めている。国に求めることは、患者の一日も早い救済のため、積極的に援助し、無料で治療を行うこと。新薬の研究・開発に尽力すべき。公費負担でワクチン接種の機会を増やすこと。
②69歳男性、東大阪市職員として42年間働いてきた。舌がんを患ったので思うようにしゃべれないが頑張って意見陳述。
 1977年寝たきりになった母親の介護をしていた時に、身体がだるくなり受診。B型肝炎ウイルスによる慢性肝炎のと診断されて入院。1978年に結婚。2011年に健康診断で肝臓に1.7cmと3.0cmのがんが見つかる。動脈塞栓術とラジオ波手術をこなった。ラジオ波は腫瘍のなかに電極針を通して熱により肝臓がんを死滅させる治療だが、お腹のなかに焼け火箸を突っ込まれたような感覚で息が止まるほど苦しかった。今は、3ヶ月に1回血液検査とCT検査を受けている。肝がん治療に自己負担33万円ほどかかった。毎年医療費が多くかかっている。幼稚園の送迎バスの運転手をしているが、その収入のほとんどは国民健康保険料や治療費に消えている。
 弁護団も意見陳述をした。意見陳述の大きな問題点は慢性肝炎の除斥と発症の認定問題であった(詳細は省く)。国が被害者・患者の実情を真摯に考えればすぐに解決すると思うのだが、なかなかそういう判断に立てないでいる。これからも多くの方の理解を得て運動を進める必要があると感じさせられた。

 裁判の後は、大阪弁護士会館で報告集会が開かれた。意見陳述を行った原告の感想、全国各地で行われているAKS(オール 肝臓 支援の略なのだろうか)集会の報告、教育啓発チーム(医療関係者・学生や国民に肝炎の実態、患者の実態を知ってもらうため、患者自らが話す事ができるようにするための取り組み)報告、真相究明・再発防止チームからの報告、オレンジサポートメンバー(大阪市大学生がずーっと私たちの運動を支援してくれている)による朗読劇(肝がん原告の話を聞いてまとめたもの)の映像の上映、今取り組んでいる国会請願署名、原告の交流会(班に分かれて自由に自分の状況や気持ちなどを話す)などが行われた。

 9時27分の土成発阪急三番街着の高速バスに乗ったのだが、途中で緊急工事が行われており、何時もだと12時過ぎに着くのが12時半に到着。ゆっくり昼食をする間もなかった。帰りは、5時半阪急三番街発のバスで帰ろうとしたのが満員で乗車できなかった。結局乗ったのは7時半で、我が家に着いたのは10時過ぎであった。疲れた。


 8日の守大助さんを支援する徳島の会役員会ではニュース「僕はやっていない!」の発行について話し合った。内容は2月の総会の報告が主である。何時も作っている松浦さんが忙しくてできないというので、私にお鉢が回ってきた。仕方がない。この頃この手のニュースを作っていないので、慣れないので時間がかかる。3日程かかってようやく仕上げた。出来栄えについては自信を持てない。きちんと見えないようだが、イメージだけでも。




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