大島博光記念館・「我和中国」・「文学と映画からみる戦争(2)」と屋久島

 昨日は、健生山の会の会合があったので、連れ合いと参加した。内容は、10月の連休に行く屋久島についてである。足腰の弱いものは縄文杉までの往復(日帰り)、健脚組は宮之浦岳縄文杉の縦走(1泊2日)となった。もちろん私達は、縄文杉の往復である。
 昨日は3つ嬉しいことがあった。1つは、5月の連休の時に長野に行ったのだがその時に立ち寄った大島博光記念館(http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/)からニュース第34号が届いたことであった。
 2つ目は一昨年上海大学に2週間語学留学した時に一緒だった方から、自費出版の本が届いたこと。タイトルは「我和中国」。1972年から中国と関わり、何度も中国を訪問したり短期語学留学をしている。この本は、中国語で書かれている。早速読み始めた。難しい言葉が少ないので、私にも理解できる本である。
 3つ目も本に関わっている。だいぶ前に、知人の本の校正をしていると書いたが、それが出来上がったのでいただいてきた。何しろ35万字ほどもあるものなので、初校・再校をするのは大変だった。
 大島博光記念館のニュースには、大島博光の詩「火をつけるな―鳩の詩」が掲載されている。掲載されたのは、今の安倍内閣の戦争法案に対する怒りの表現であろう。長いが下記に記す。民主文学1984年に掲載されている。

 わたしは鳩だから どこへでも飛んでゆく
 風のように 世界じゅう 飛びまわっている

 見れば ほうぼうに 戦争がいついている
 ミサイルが空をつん裂き 人間がふっ飛ぶ

 まるで戦争はいつも 遠いところで起こって
 新聞やテレビにのる 長くつづく物語のようだ

 だがどんなに馴らされようと 戦争は戦争だ
 硝煙がのぼり 戦車が走り ビルが崩れる

 子どもを横抱きにして 走る 母親たち
 血にまみれた裸の少女が 道で泣いている

 それはベトナムであったり グレナダであったり
 ニカラグワであったり レバノンであったり

 沙漠を サヴァンナを前進する 迷彩服たち
 世界の砂だまりにつくられる 巨大な蟻地獄

 そこに黒い鷲の影があって ファシストがいて
 殺されるのは いつも無辜の雀たちと自由だ

 村も 街も そのまま 屍体置場となる
 灼ける砂のうえで 血も涙も 乾いてゆく

 武器のほとり まばゆすぎる太陽のしたで
 眼もくちびるも バラとともにひからびてゆく

 おお おのれの生を生きられなかったように
 また おのれの死をも 死ねなかった人たち

 だが地獄の日にも やさしい眼をしていた人たち
 おお 墓もない 花束もない 裸の死者たち

 それら死者たちの名において 火を放つな
 丘のつぐみたち 野の牛たち 矢車草に

 生きている者たちの名において 火をつけるな
 小麦畑と雲雀たちに 珈琲畑とひなげしに

 青空大の わたしの鳩小屋に 火を放つな
 核の斧など振りかざして 火をあふりたてるな

台北陵クリニック筋弛緩剤えん罪事件の守大助さんをご支援ください!
B型肝炎訴訟をお考えの方は、全国B型肝炎訴訟弁護団へご相談を!http://bkan.jp/

どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
折りこみどどいつ。 キリスト
よしこのよる リンタクやとい つからかんで をたたく
◯きみと一緒に リンクに立てば すべってころんで とまらない
◯きみじゃなかった 理想の妻は すまないけれど とりかえる