蔵書の片付けと「奄美の奇跡」永田浩三

 一昨日・昨日と蔵書の片付けをした。若いころに読んだ本は、いろんな思い出があり捨てがたいが、狭い書斎の戸棚からあふれて廊下までにはみ出しているので仕方がない。東京の早稲田や神田・三軒茶屋古書店などで購入したものも多かった。一冊づつ吟味していたら時間がかかってどうしようもないので、適当に選択した。全部で800冊近くになったので、軽自動車に乗せてきのこハウスまで持って行って処分を依頼した。書棚がだいぶ空いてきたので、また本が増えるだろう。
 「奄美の奇跡」を読んだ。「沖縄現代史」を読んだので、その続きとして、戦後のアメリカに占領された奄美群島についても知りたかった。著者の本は、「NHKと政治権力」岩波書店につづいて2冊めであった。

奄美の奇跡 「祖国復帰」若者たちの無血革命

奄美の奇跡 「祖国復帰」若者たちの無血革命

 私の両親は奄美群島沖永良部島(天気の良い日は沖縄が見える)で生まれ育った。父(1916年生)は若くして大阪、その後東京に出て働いていた。奄美群島が本土復帰を果たしたのは1953年12月25日。私が7歳の時であった。本書では奄美の人たちの熱心で粘り強い復帰運動が書かれているが、私の幼い当時の記憶にもかすかに残っている。その頃私たち一家は東京・大田区馬込に住んでいた。奄美から復帰運動や勉学・就職のために多くの人が上京してきた。わが家にも親戚・知人が多く来て、身を寄せていた。狭い家に、よくもこんなにと再三再四思った。ここでよく書かれている「密航」の言葉も当時聞いた覚えがある。叔父は父より20歳年下で私より10歳年上であった。兄みたいな存在だった。高校に行くために沖永良部島から出てきた。年齢から数えると1951年になるのだろう。確かな身元引受人がいるとこから、占領軍の承認による渡航許可書(?)で東京まで来たのだろうか。5人兄弟の中でも、私を一番かわいがってくれた。残念ながら8年前に71歳で亡くなった。馬込のわが家に沢山の島の人達が来て、賑やかにお祝いをしていた記憶もある。多分、奄美群島の本土復帰が実現したお祝いだったのだろうと思う。皆、喜んで晴れやかな顔をして、三味線を弾き島踊りをしていた。
 
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鶴彬の川柳歌集「手と足をもいだ丸太にしてかえし」
◯昼業と夜業が夫婦きりはなし
◯重役の賞与になった深夜業
◯虐使した揚句に病めば首を馘(き)り
◯軍神の像の真下の立ちん坊
◯淫売も出来ず馘られる老工女