上海大学短期語学留学 ⑦ 上海宣伝画芸術中心と魯迅紀念館

 2月19日は日曜日。疲れていたので暫く休憩。朝食はカップラーメン。朝からこんな食事、徳島ではしたことがない。その後宿題をした。作文はもちろん紹興旅行について書いた。
 10時過ぎから外出。Y田さんはO山女史・H旗女史の案内で上海の周遊バスで上海見学。S谷さんは1人で何処かに行くと言っていた。
 私が行ったのは地下鉄常熟路駅近くの「上海宣伝画芸術中心」と魯迅紀念館など。上海宣伝画芸術中心に行こうと考えたのは、2年半前に朝日新聞出版から出された「中国ポスター」を読んだから。そして旅のガイドブックに小さな紹介があり、「中華人民共和国成立から1970年代までの政治宣伝ポスターを集めた施設」と書かれていた。
 中国ではいたるところに大きなポスターが貼られていて(上海大学の塀にもたくさんあった)、興味を持ったからであった。

 しかし、これが大誤算。上海宣伝画芸術中心がなかなか見つからない。駅から遠いうえにまた方向音痴だ。回り回ってようやくそれらしい場所にたどり着いたのだが、表示が見当たらない。マンションの守衛に聞くと、この建物の中だという。敷地内に入ったが見つからず、反対側の守衛に聞くと名刺大の地図をくれた。目的の建物に入ると表示があって地下に行くとある。薄暗い階段を下りていくのは少し不安であった。小さなドアの向こうに、大きなポスターが見えた。入場料は25元。免費ではなかった。
 こんなマイナーなところに来ている人は欧米人ばかりであった。日本の紹介書では小さな紹介でも他国では大きな紹介になっているのだろうか。ここで買ったのは「中国宣伝画典臧」(150元)と時代漫画(50元)。

 歩き疲れたので、魯迅公園へはタクシーで行った。公園は日曜日なので家族連れでいっぱいであった。遊園地の乗り物で遊ぶ子どもを見ている親、球技をしたり、トランプをしたり、演奏したり、歌ったり、大変な賑わいであった。魯迅紀念館を見学、前に見た内山書店のコーナーはなくなっていた。その後、上海の魯迅故居に行った。ここもパスポートで70歳以上であることを示すと免費であった。時間を決めて中を案内するようになっているので、待合室にあった「魯迅與日本友人」という本を見た。値段が48元なので買うことにして館員にお金を差し出すと、この本は売っていないという。ここで見ろというのであった。暫く見ていると、お前中国語が読めるのかと聞いてきた。見えを張って読めると答えると、無料でくれるというではないか。ありがたい。
 そして館長らしき人が出てきて、日本語で「あなたは周海嬰魯迅の一人息子)を知っているか」と聞いてきた。知っていると答えた。

 8年ほど前に周海嬰岡山県井原市に来て講演をした話をした。なぜ周海嬰が遠い片田舎の井原市に来たかというと、内山完造没後50周年記念事業のイベントとして「わが父魯迅と内山完造」と題して話をしたのであった。私も連れ合いとこの集会に参加して、周海嬰の話を聞いた。魯迅と内山完造との関係などを詳しく話をしてくれた。集会には多くの中国人留学生もボランティアで参加していた。彼は、その時に通訳として来ていたと言った。なるほど!!!うれしい話であった。魯迅故居の後に、内山書店旧址、多倫路文化名人街に立ち寄った。
 6時過ぎに人民広場駅近くの新世界城「70超」で5人の徳島組と落ち合い、以前徳島に留学していた中国人たちと食事をした。美味しい食事と旨いビールを満喫した。彼らはたいへん義理堅い。「請客」するというのだ。20・30代の3人、まだまだ給料が少ない彼ら。こちらがいくら割り勘と言っても聞かない。犂先生にO山さんが携帯で聞いたら、彼らの言うとおりにしなさいと返事が来た。仕方がない。彼らの好意に甘えることにした。お土産まで用意してくれていた。中国のやり方なのであった。いくらかかったのだろうか、心配であった。

 この日の歩数は27,903歩。疲れきった。