上海大学短期語学留学⑩と友人の死

 今朝は、暖かい朝であった。あわ9条の会の宣伝行動があり全部で5名の参加であった。
 ある新聞の訃報欄を見ていると、永年付き合いのある人の名前が出ていて、とてもびっくりした。彼は、高校時代からの友人であった。
 高校時代に、安保闘争創価学会・文学など色々教えてもらった。高校を卒業して大学は同じだったが彼は一年遅れでロシア文学科、私は国文学科であった。
 ある時、彼が家庭教師をしている子どもに、引き継いで教えてくれないかと頼まれたので、引き受けた。大学のある早稲田駅から蒲田駅、それから西六郷駅まで1時間半ぐらいかかった。1時間半ほど教えて8時過ぎに家庭教師先の家を出て、二子玉川園駅まで行って、歩いて家があったところまで戻るともう10時過ぎであった。1〜2年続けて、その仕事は彼に戻した。
 私の結婚式にも彼は参加し、スピーチもしてくれた。私は徳島に住んでいたので、日常的な付き合いはなかったが、東京に行った際、2度ほど彼の家に行った。蒲田の庶民が住む街に彼は暮らしていた。
 もう15年以前になる。彼は小さな出版社で編集をしていた。彼から私に話があって、大学時代に論語・中国語を教わった恩師の松浦友久先生(李白研究家)にお願いして中国関係の辞書を作りたいのだが、紹介してくれということだった。東京出張の折に時間を見つけて先生の研究室をお尋ねして、依頼の件をお話した。先生には研究が忙しくて、そういうことに関わる時間がないと断られたことがあった。
 彼と会うことは少なかったが、信頼できる真面目な人間であった。私の連れ合いは町議時代に「マサ子通信」というものを定期的に出していた。お中元・お歳暮を送る時に、一緒にマサ子通信も入れて送った。彼からは購読料だと言ってカンパが送られてきた。生真面目な男であった。
 出版会社を定年後、長年の望みを実現したロシア旅行のことを話してくれたことを思い出す。電話先の声はとてもその旅行に満足し楽しそうなものだった。
 昨年大腸がんの手術をしたが、発見が遅かったと、先程奥さんに電話をかけた時に言っていた。71歳、まだまだであるのに、残念でしかたがない。

上海大学短期語学留学 ⑩ 
 2月22日(水)朝5時に目が覚めたので、この日誌を少し整理した。第一学生食堂でパン・豆乳の食事を摂った。
雨模様の天気であった。
 最初は新出単語で、私が出したのは「磁懸浮」(磁悬浮 リニアモーターカー)であった。浦東空港から龍陽路駅の30kmを時速400kmあまりのスピードで8分ほどで走る。
 学生が多くなったので、新出単語の解説にも多くの時間がかかってきた。紹介してみよう。若い女性が多いのでこうなった。
 ① 西部大开发 西部大開発。中国の大規模開発プロジェクト
 ② 安居房 楽しく暮らす
 ③ 位于 〜に位置する
 ④ 蒲公英 たんぽぽ
 ⑤ 拿铁 カフェラテ(他のコーヒーの中国読みも教えてくれた)
 ⑥ 攀爬 よじ登る(公園で危険なものに乗らないようにとの表示の一部)
 ⑦ 预判 予断・予測(株の取引)
 ⑧ 小鲜肉 若くて元気な男
 ⑨ 天棚 日よけ棚
 ⑩ 反守为攻 守勢を転じて攻勢を取る。サッカーに出てくる
 ⑪ 睫毛膏 マスカラ
 ⑫ 湿布 ウエットティシュ
 ⑬ 揽客 客引き
 ⑭ 联欢会 懇親会、歓迎会

 この日の授業は16課を飛ばして17課「业余爱好」(余暇の趣味)であった。谈不上、从〜起、由于、除此以外、于是、除了などの用法を習った。練習ではテキストの絵を見て、由于、除此以外の語を使って文を作ることになったが、私の能力ではお手上げである。
 宿題は、1.新出単語 2.造句 ①谈不上 ②主要 ③由于 ④一天到晚 3.158pから160pまでの予習。
 午後からは、もう疲労困憊であったのでベッドで少し休憩した。夕食は、隣部屋のH旗女史・O山女史の部屋でとった。彼女らがファミマで買ってきた関東煮と酒のアテというものであった。寒い外に出て食事するよりはマシであった。おみやげのつもりで紹興で買ってきた紹興酒を飲んでしまった。大変美味しかった。
 この日は天気が悪く遠出をしなかったので、歩数は6,865歩。

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