徳大・大塚講堂で「患者講義」、「自由への闘い秋瑾」(山東画報出版社)

 昨日は、徳島大学の大塚講堂で私が学生向けに「患者講義」を行った。1月はじめに大学から依頼を受けて、上海大学短期語学留学が終わった、3月はじめから準備を進めてきた。
 話す対象は、薬学部1年生80名、歯学部1年生60名、医学部医学科4年生100名、医学部栄養学科3年生48名、医学部保健学科3年生144名(看護・検査・放射線)、と依頼書には書かれていた。総勢で432名になる。1年生はオリエンテーションの一環である。学年差があるので、聞き手がどう理解してくれるか心配であった。
 今回の講師は、私と難病・薬害筋短縮症の会の廣間温子さんであった。彼女は兵庫県から来た。全国薬害被害者団体連絡協議会(略称:薬被連)に加盟していて、簡単な会の紹介が配布された資料にあった。
 「筋短縮症は風邪・発熱の症状に対して不必要な薬剤注射が打たれ、全国的に発生しました。この結果正常な身体で生まれた子どもが成長すると共に、手足の障害のみでなく、精神的な苦痛を受けることになりました。各地の裁判で原因究明も終わり和解しましたが、我々被害者は会を継続し被害者対策と医療・薬害の被害者を出させない運動を続けています。」と書かれていた。薬被連は10薬害12団体が加盟している。
 話の中でこの会は、高橋晄正医師(東大講師 1918年〜2004年)に大変お世話になったと話された。高橋医師の活動は薬害を始め、いろんな医療分野で頼りになる存在であった。私も、若い時に彼の著作を読んだ記憶がある。彼女は小さい時に250本も両足に筋肉注射を受けたと語って、そのことが原因で筋短縮症になった。しかし、1本の筋肉注射でも筋短縮症になった子どもがいるという話であった。今では、成長途中の子どもに筋肉注射をすることがなくなっている。彼女たちの運動が間違った医療行為を正した。

 私は、「なおりたい なおしたい ただそれだけ」(患者の思い 患者会活動とB型肝炎訴訟)と題して1時間話をした。20〜30分程度なら何度も人前で話をしてきたが、1時間ともなると準備が大変で、昨日は大変疲れた。何しろ書いた原稿が、緑内障白内障のためきちんと読めないのであった。
 内容は、①自己紹介 ②徳島肝炎の会・日肝協の歴史 ③B型肝炎訴訟の歴史 ④なぜB型肝炎が蔓延したか ⑤肝炎患者がおかれている状況 ⑥私が知っている肝炎患者の状況(前会長、若くして亡くなった患者、母子感染させてしまった女性、障がい児を持った父親が肝がんを発症、長年の慢性肝炎から急に肝がんに) ⑦肝炎に対する正しい知識を ⑧私たちの願い であった。パワーポイントで54枚にもなった。聴講した学生さんの学業が成功することを願って、話を終えた。舌足らず、冗長、私の理解不足などがあったが、何とか終わってほっとした。
 大阪から弁護士4名、徳島の原告2名、近藤徳島肝炎事務局長、連れ合いも、話を聞きにきてくれた。感謝である。
 しかし、廣間さんの話もそうであったが、厚生官僚の無責任さ馴れ合いが、多くの被害者を生み出していることが、学生さんにはよく理解されたのではないだろうか。

 「自由への闘い秋瑾」(山東画報出版社)を読んだ、清朝末期の女性革命家の短い生涯が書かれている。紹興にある秋瑾の記念館で購入した。同じ紹興生まれの中国の著名な作家、魯迅の小説「薬」のモデルである。彼女も魯迅と同じ時期に日本に留学している。
  

 日本で写された秋瑾