「かっこいいスキヤキ」(泉昌之)、「草汁漫画」(小川芋銭)、新年会、あわ9条の会

 7日(日)午前9時から45分まで、今年初めてのあわ9条の会の宣伝行動が、マルナカ柿原店前の交差点であった。今日の参加者は9名で自動車や自転車から合図を送って激励してくれる人がたくさんあった。残念だったのは、あわ9条の会のマドンナゆきちゃんが用事があったため不参加だったこと。彼女が参加すると皆さん力が入る。
 8日(月)の今日は、新年会があった。新年会の前に、毎年行っていることだが、数年前に亡くなった友人の家を訪問して、お仏壇に花を供えお焼香をした。新年会の前に会議で阿波市議会選挙のことについて話し合った。12時からは新年会。手作りのおでんなどを食べ、美味しいビールなどを飲みながら歓談した。ビンゴゲームもして楽しんだ。その後、入院中で参加できなかった人が吉野川医療センターにいるので、皆でお見舞いに行った。ところが、5日に退院したとのこと。我が家の近くの施設に入所しているので、訪問した。そこそこ元気なようで安心した。

かっこいいスキヤキ (扶桑社コミックス)

かっこいいスキヤキ (扶桑社コミックス)

 「かっこいいスキヤキ」(扶桑社文庫 泉昌之)を読んだ。これも「文庫本を狙え!」で紹介されていたものである。子どもには理解されない大人が読んで楽しめるマンガというのが、本書の後ろに掲載されている「座談会」の感想であった。確かに、荒唐無稽でそれなりに面白い。しかし、「文庫本を狙え!」の著者の坪内祐三はいろいろな角度、読み手を意識しながら、文庫本の紹介をしているのだから大変だなあと感じ入った次第である。
「草汁漫画」(有倫堂出版 明治541年6月出版、1976年造形社復刻 小川芋銭)を読んだ。昨年9月に大阪梅田の阪急古書店街で購入した。


 小川芋銭(おがわうせん)は世界大百科事典 第2版の解説によると、「1868‐1938(明治1‐昭和13)日本画家。東京赤坂の牛久藩邸に生まれたが,牛久村(茨城県稲敷郡)に帰農。幼名不動太郎のち茂吉。別号牛里,草汁庵,芋銭子など。1880年ころ上京,働きながら,本多錦吉郎の画塾彰技堂で洋画を学び,のち日本画を独修した。91年,《朝野新聞》に第1回帝国議会のスケッチが掲載され,93年牛久に帰り農業に従事しながら,《茨城日報》や《いはらき》など,郷里のジャーナリズムに田園風刺漫画を掲載しはじめる。1903年ころ幸徳秋水を知り,《平民新聞》に風刺漫画を発表。」とあった。
 以前から名前だけは知っていいたので購入した。本書には宮川寅男による14ページに及ぶ詳しい解題が付けられている。芋銭は河童の絵で有名らしいが、本書は初期の作品で河童とはほとんど無縁である。平民新聞に長く関わっていて絵をたくさん掲載している。茨城県牛久市小川芋銭記念館「雲魚亭」があるので、水戸に行った時に時間があれば訪問したい。
 小説「橋のない川」を書いた住井すゑは芋銭の家の近くに住んでいたと言うから、交流があったのだろう。本書を観ると、最後の「ばつ」を画家の小杉未醒(放庵)が書いていた。芋銭も小杉も茨城に住んでいた。小杉未醒は多彩な人で「唐詩及び唐詩人 上下」という本が角川文庫から昔出版されていて、高校時代の1962年に購入して読んでいる。多分、漢文の授業があって、唐詩について話を聞いたので購入したのだろう。懐かしい名前である。

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「光十字に」の中から「戦陣抄」瀬尾茂信
◯衛兵が週番士官の巡察に直立不動で事無しを告ぐ
◯分哨の歩哨の立てる闇の中犬の遠吠えに身を引きしむる
◯新兵も古参も共に前線は助け合いつつ任務果たせり
洞庭湖に小舟を浮かべ釣りをするこの静けさはいつまでもたむ
◯一つ二つ所在を知らす曳光弾明日は愈々総攻撃か