学成りがたし

 一昨日は、高松まで「サッカー落雷事故北村裁判」の判決を傍聴するため、高松高裁まで行った。詳細は、「マサ子通信PartⅡ」参照。課外行事での学校と主催者の責任を認め、また被害者本人の今後の人生設計の保障まで認めた、素晴らしい判決であった。今後は、土佐高校高槻市体育協会が、その責任を認め真摯に被害者に対応し、最高裁に上告しないように望みたい。
 2時から始まる裁判には多くの傍聴希望者があり、抽選をすることになった。抽選まで時間があったので、「ひさ六」に立ち寄った。ひさ六については、自費出版した「孺子の牛」の「宮内フサ」の項を参照されたし。来年の干支の牛の「高松張子」を買おうと思ったのだ。嬉しいことに、干支の牛を購入した後、店の人がこういうのだ。「宮内フサさんの作品が出てきたので買わないか。」 宮内フサは1985年12月に102歳で亡くなっている。1959年正月のお年玉郵便切手の題材「鯛持ち恵比寿」にも、彼女の作品が採用されている。分けてもらったのが「御幣猿」と「うさぎ」の手ひねりの人形であった。30年来ひさ六の客なので、声を掛けてくれた訳である。
 家に帰ると、高校時代からの友人から手紙が来ていた。珍しいことである。彼も退職して年金暮らしが始まっている。40年前に習ったロシア語を再学習しているという。私たちが若かった、1960年・70年代は皆貧しかったが、今日より明日、明日より明後日が明るく思えた時代であった。全国で革新自治体が生まれ医療・福祉の充実が実現し、今の高齢者・弱者いじめの時代とは、大違いであった。パソコンで作った彼の手紙には、写真も添えてある。顔かたちは昔のままであるが、昔つやつやとして、人懐っこそうな顔には、それなりのしわが見られ、40年の歳月を物語っている。手紙の最後はこうだ。「それにしても、ぼくらはなんと遠いところまで来てしまったのだろう。」 さてさて、前の方に歩いてきたのだろうか、それとも後方へか。はたまた同じところにとどまっているのに、時代が変わってきたので、歩いてきたと錯覚しているのだろうか。判然としない。
 朱熹の「偶成」という詩にこういう言葉がある。「少年易老学難成 一寸光陰不可軽 未覚池塘春草夢 階前梧葉已秋声」(少年老い易く学成り難し 未だ覚めず池塘春草の夢 階前の梧葉すでに秋声」訳は、「わずかな時間も、むだに過ごしてはならない。池の堤に春草の萌え出たころの楽しい思い出、つまり少年時代の楽しさからいつまでも覚めないでいるうちに、時節の過ぎ去るのは早いもので、きざはしの前の青桐の葉に秋風を聞く」(成語林 旺文社による)