秋瑾
- 作者: 山崎厚子
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2007/12
- メディア: 単行本
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秋風秋雨人を愁殺す―秋瑾女士伝 (1976年) (筑摩叢書)
- 作者: 武田泰淳
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1976
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- 作者: 周作人,松枝茂夫,今村与志雄
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1955
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秋瑾の過激な一面が見受けられる一文である。
「秋瑾 火焔の女」のエピローグ「1911年、辛亥革命を成功に導いた武昌蜂起には、秋瑾が組織した革命家たちが陣頭指揮をしていた。 西湖のほとりに、徐自華姉妹によって秋瑾の顕彰碑が建てられた。碑文字は、墓前祭にやってきた孫文の揮毫により、『鑑湖巾幗秋瑾女士』と彫られた。」
ところで、魯迅と内山完造のことを先日書いたが、記念館で購入したのが芦原町(当時)の教育委員会が小中学生用に作成した本「魯迅と藤野厳九郎」であった。1964年4月に福井市足羽山に二人の友情を記念して「惜別」の碑が建てられた。惜別という言葉は、藤野が魯迅に書き送った文字である。この文字は二人をモデルにした太宰治の小説にも用いられている。もっともこの小説は戦時中に書かれたもので、内容的に芳しいものではない。竹内好も痛烈に批判している。
碑文には貴司山治(自著 孺子の牛 59貴司山治と魯迅 61貴司山治追記参照)の文章が彫られている。
「明治37年周樹人仙台に学ぶ 教授藤野厳九郎懇切に指導すること2年 周氏志をかえて仙台を去る 先生深く周氏を惜しみ『惜別』の2字を署して小照を贈る 周氏は後の中国文豪魯迅先生なり 魯迅その小照を壁間に掲げて己を督励し 小品『藤野先生』を草して旧師を偲んで 曰く『先生は世に無名の人 己には極めて偉大の人』と 大正5年藤野先生故郷福井に隠れ医を営んで農夫の友となり 昭和20年8月11日72年の生涯を了る 有志相謀り上海市の魯迅記念館所蔵藤野先生小照背面の文字を採り 仙台医学専門学校時代の先生小照と共に刻し茲に惜別の碑を建て 両先生不滅の結縁を記念す 因に台石『藤野厳九郎碑』の6字は魯迅夫人許広平女士に嘱してこれを誌す 1964年4月 藤野先生記念会」 (小照とは写真のこと)
この碑文については「魯迅・藤野先生・仙台」 半沢正二郎著 1966年11月 日中出版 500円 から引用した。
- 作者: 半沢正二郎
- 出版社/メーカー: 仙台魯迅会
- 発売日: 1966
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