寒い

 今日は、家の中にいても手がかじかんでしまった。明日も寒いと言う。少し家の片づけをした。
 

死体と戦争 (ちくま文庫)

死体と戦争 (ちくま文庫)

 この本は、1990年に青弓社から出版された「死体の文化史」を改題・再編集のうえ文庫化したものである。
 著者はこの本を書いた観点をこう記している。「私は昭和17年8月生まれで、敗戦時にはあと9日で3歳という齢だったから、戦争のことは全く記憶にないのだが、それでもずっと気にしてきた。だが、いわゆる”正史”といわれるものは、戦争の全体的な推移やその過程での政治的、軍事的駆け引きについては記述していても、敵を殺す時、あるいは戦友を殺された時にはどんな気持ちになるのか、戦争末期のフィリピンのように死体がごろごろしている中では、兵士は死や死体について、どんな思いを抱くのか、さらに餓死寸前の状態で敗走すを続けている時、戦争とか、それを仕掛けた国家について、兵士はどういう思いを抱くのだろうかなど、私の気がかりなこおとを教えてくれる本は皆無だった。”正史”とは、個人の行為や感情を無視したところで成立しているのである。私はそのことに違和感を感じ、フリーライターになって数年間は、」個人に書いた戦記を読み漁り、戦争体験者に極力会うように務めた。」
 ここまでは19日に書いた。今日(20日)朝起きて外の出てみると高越山とその奥の山に雪が積もっていた。寒いはずである。こんな早い時期に雪を見るのははじめてである。
 戦争は、国家が引き起こす一番理不尽な行為である。戦争に投入された兵士が、理不尽な理性を書いた行為を行うのも当然になってくる。強姦・人肉嗜食などの行為が、第二次世界大戦中にも日本軍の手で行われてきた。この戦争で日本兵士の死者の多くは餓死であったという。
 「昭和20年5月、フィリピンにあった第41軍(振部集団。司令官・横山静雄中将)は『人肉を食った場合、その場で処断する』という命令を発したという。逆にいえば人肉嗜食がそれだけ頻繁に起きていたわけである。しかしそれも戦友を食べた場合のことで、対象が敵となると話が別だった。辻政信大佐の従卒をつとめた山田勝三によると、辻は捕虜をとらえると、銃殺して生き胆を食べることを好んだ。山田にも勧めたが、断ると『いくじなし』とでもいうように冷笑した。山田は辻が、まだピクピクと脈打っている生き胆を手づかみで食べるところを何度も目撃したという。」