沖永良部島昔話集

全国昔話資料集成〈39〉沖永良部島昔話集 (1984年)

全国昔話資料集成〈39〉沖永良部島昔話集 (1984年)

 前回、「沖永良部島のユタ」について書いたので、今回は沖永良部島の昔話を読んだ。
 編者は関敬吾。本書は主に、岩倉市郎の「沖永良部島昔話」(1940年刊行)と関敬吾の「日本昔話大成」(1978年〜80年 角川書店)を中心にして、昔話が採録されている。装丁がしゃれていると思ったら、安野光雅とあった。なるほど。
 琉球と大和の双方からの影響を受けた昔話である。巻頭には大きなバナナの木に囲まれて、子供たちに話をする平前信さんの写真がある。全部で46話が載っているが、ひとつだけ紹介しよう。

 天人女房
 昔、あたることがしや(昔、あったことだが)ミカルシという男がいて、毎日畑廻りをしていた。ある日のこと、畑廻りをして帰るのに川岸伝いに歩いていたら、女の髪の毛が一筋川上から流れて来た。この髪を伝って行けば、女が川上におりはしまいかと思って、また後戻りして川上に行った。案の定、川岸で黒髪をうち垂れて洗っている女が一人いた。ミカルシは女に声をかけた。
「どうしたのか、女童(めーらび)よ。お前はこの川原で髪を洗っているのかね」
「私は女童(めーらび)ではない。天から降りてきたアモレで、あの松の木に飛び笠、飛び衣装をかけています。あの飛び笠、飛び衣装を着て天に昇るんです」
「そんなことを言わないでくれ。ちょっとここに寄ってきて、二人一緒に煙草をふかそう」ミカルシが誘うと、アモレは傍にきて、煙草を一口、二口吸いつけた。
 そうしているうちに愛情がわいて、天に昇ることを忘れ、ミカルシと一緒に住むようになった。
一年二年、暮らしているうちに、子供も二人できたが、ようやく、天のことを思い出し、
「私はこんなにまでここにおることはできない。いつか天にかえらなければいけない」と考え、
「持ってきた飛び衣装、飛び笠はどこにあるかな。あれがなければ天に帰ることができないから捜しださないといけない」と、苦心して捜したら、六つ股倉の籾の下に隠されていることがわかった。それで、飛び笠、飛び衣装を出して着て、二人の子供を左右の脇の下に抱いて飛ぼうとした。ところが二人の子が重くて手を動かすことができず、飛ぶことができない。泣く泣く二人の子は置いて、アモレは飛び笠と飛び衣装の力を借りて、一回飛んだら黒雲にとまって、二回飛んだら白雲にかかって、三回目にとうとう天に昇ることができた。地上で泣いている二人の子の声が天まで聞こえてきて心をひかれながら天の人になった。
「お前は、どこにどうしておった」と尋ねられると、
「ヤナギミカルシにだまされて、一年二年と思っていままで暮らして、二人の子もできました。でも子供は連れて来ることができず、一人で帰って来ました」と話した。アモレはこうして天の人になった。
 置いていかれた二人の子は母が恋しくて、朝晩泣くので、ミカルシが、
「泣くな、泣くな。かわいい子よ。お前のかあさんの飛び笠、飛び衣装は六つ股倉の下にあるぞ。泣かなければ、それを取ってやるぞ」と歌っては二人の子をあやして育てたそうだ。

 子守唄については、こう注記されている。
ヨヒラヒラ 童児(わらび)よ 泣くな 泣くな 童児よ うらあまが(お前の母さんの)飛び衣装 うらあまが飛び笠 六(む)ち股の倉の 籾ちかの下よ 泣かにぃば どぅくりんどや(くれるんだよ) 泣かにぃば どぅくりんどや

 解説で臼田甚五郎はこう書いている。
 天人女房はアモリオナグ(天降り女子の義)と言われるが天人女房では、アモレと語られている。アモレはアモリオナグの略である。アモレの昇天の料たる飛び笠・飛び衣装が隠された六つ股倉の如きはまさに奄美諸島の建造物である。刻みをつけて足がかりにした梯子段役をする一本の丸太棒が高床式の建物の部屋の入口にかかつている。四つん這ひになって昇ると上の部屋が十畳くらゐ もあって結構広い。籾や雑穀その他が保存される。丸太棒をはづせば鼠の侵入も防げる仕組みだ。普通の「天人女房」譚では二人のこどもつまり姉と弟であって、姉が弟をあやす子守唄から飛び衣が六つ股倉に隠されていることを知るのである。天人女房が自分で捜し出すといふのは異例である。母親のアモレに地上にのこしてゆかれた二人の子が母恋しと泣くので、父親のミカルシが子守り歌を歌ふといふのも異例である。

 「六つ股倉」は「高倉」のことである。私が小学生の時に沖永良部島に行ったときには、まだ健在で使われていた。しかし現在では民俗資料として保存されているだけである。
 大辞泉小学館)では高倉についてこう説明している。「建物の床を高くし、柱で支える構造の倉。ネズミの害や湿気などを防ぐ。現在でも奄美諸島や東南アジアなどに見られる。