全国昔話資料集成 15 奄美大島昔話集

全国昔話資料集成〈15〉奄美大島昔話集 (1975年)

全国昔話資料集成〈15〉奄美大島昔話集 (1975年)

 「全国昔話資料集成」は全40巻で構成されている。1974年から1984年まで11年間かけて刊行された。編者の田畑英勝は本書によると1916年鹿児島県名瀬市奄美大島)生まれで、國學院大學の国文科を卒業し、鹿児島県内で高校の教師をしながら研究をしていたようだ。
 本書のほかに、「奄美のことわざ」「奄美の民俗」「奄美諸島の昔話」「奄美の伝説」「徳之島の昔話」などを書いている。
 巻末の「編者ノート」によると、本書は1954年12月に自費出版した「奄美大島昔話集」の増補版とある。旧著は1947年から1954年に至る間、当時の奄美高等女学校専攻科、および奄美高等女学校(旧、大島高等学校第二部、旧、大島女子高等学校)の生徒諸君によって、郡内各地だ採集された昔話をまとめたものである、としている。生徒たちに夏休みや冬休みなどを利用して宿題の一環として昔話の採集を課したのだろうか。それにしても、戦後すぐの困難でアメリカ統治下にあった奄美諸島奄美大島・喜界島・徳之島・沖永良部島与論島)の昔話をまとめた事は、大きな意義があったのではないかと思う。旧著は200部印刷されたが、柳田国男の目に留まり高い評価を受けている。全部で188話あるがひとつだけ紹介しよう。

 「兄弟どぅ兄弟なりゅん」
 昔、兄弟(きょうで)三人あって、長男、二男はは他人と交際し、弟は猪射ちをしていた。そこで今度は夜、夜待ちに奥山に行ったそうな、そしてまもなく大きな猪が来たのでこれを射って、それはそこに置き、今度はまず自分の兄弟と親しく交際(ちきあい)している人の家に行って、
「間違って人を射殺してしまったので、仕末をしなくてはならないので手を貸してくれ」と言って頼んだところが、その人はびっくりして、
「そんな事は自分にはできない」と言って、すぐに断った。そこで今度は兄のところへ行って、
「実はこうこうして猪と間違えて人を射殺してしまったから一緒に行って片付けてくれ」と頼んだところが、
「人を射殺したとなれば、それは大変だ、すぐ何とか仕末して来よう」と言って一緒に山へ行った。山へ行って見ると、人を射殺したというのは嘘で、大きな猪が射殺されていた。そこで猪を担いで帰り、猪汁を作って、さっき断った友達に、
「猪汁を作ったから汁のみに来い」と使いをやったが、恥じて来ることができなかったそうな。
だから、
「兄弟ぞ兄弟にはなる。他人は兄弟にはならない」と。