川柳 絵本柳樽

川柳絵本柳樽 (1969年)

川柳絵本柳樽 (1969年)

 本書は、八島五岳の「画本柳樽」を編集したものである。「画本柳樽」は初編(天保11年秋 1840年)から10篇(弘化3年秋 1846年)が出版されていて、6編までが八島五岳、それ以降は葛飾載斗が書いている。編者の岡田甫の解説によると、柳樽は初編が明和2年(1765年)に出され天保11年(1840年)までに167編も続刊されている。その後も「新編柳多留」として嘉永3年(1850年)まで40編も続いた。
 この川柳は俳句と同じく17文字で、俳諧から生まれてたものだが、その違いについてこう記述している。「俳句は文語調なのに川柳は口語調、俳句にはかならず季語を入れる、またヤとかカナなどの切字を入れねばならぬ・・・なんて規則があるが、川柳はすべて自由というより、かえってそれを避ける。つまり俳句は暑い夏でもキチンとネクタイをしめているが、川柳は開襟シャツと思えばいい。これらは外面的なちがいだが、内面的には、俳句が主として自然を対象とするのに、川柳は人間社会を対象としている。」また、川柳の名称について「川柳という名称は、いうまでもなく選者の初代柄井川柳(1718年〜1790年)の名から生じた。初代川柳の時代まではこの文芸を前句付といったものである。14文字の前句(一種の課題)が出され、それに対して17文字の付句を作る、それで前句付といった。はじめ元禄以前から関西で盛んになり、それが江戸へも伝わってきた。」
 川柳については初代川柳の時代の句が一番良く、それから次第に質が落ちてくる。その悪い句を「狂句」と呼んで区別する。
 本書の類書は150種類ぐらいあるという。八島は北斎の弟子だが、絵も軽妙で選んだ句も他の書よりもよいので紹介したと、編者の岡田甫は言っている。1ページに5〜6の絵を描いて川柳をつけている。この時代の風俗がわかって楽しい本であるが、なにせ江戸のカナはなかなか読めない。編者の解説を付したものを少し紹介する。
「仲のよい嫁はお経をよみ習ひ」
老人は後世の安楽を思って、とかく信心に凝る。お嫁さんもお経の勉強では、この家庭は円満。
「もっと寝てござれに嫁は消えたがり」
老人は、朝早く目が覚める。反対に若い女性はよく熟睡する。だがお嫁さんの心得の第一課は、お姑さんより早く起きて、お掃除などをするのが当然なだけに。
「姑の気に入る嫁は世が早し」
もっと寝ていたいのを早起きしたり、疲れていても無理に働いたりして、お姑さんに「うちの嫁はほんとにいい嫁だよ」と気に入れられるのはいいが、とかく気疲れで早死にする。
「願わくば嫁の死に水とるきなり」
嫁よりわたしの方が長生きしたい、なんて考えている姑にかかっては、まったく処置なし。
「からめ手を望むみんなは法師武者」
僧侶で女色は厳禁されていたが、男色のほうは黙許だった。またお城の正面は大手、裏面はからめ手という。さて城の裏手をねらって攻め入るのは、法師武者どもが最適。
「いい宗旨頭丸める分のこと」
女犯禁制の当時でも、浄土宗だけは魚肉も妻帯も許されていた。だから浄土宗の坊さんは、頭を丸めている点が普通人と変わっているだけ。
「大黒を貧乏神と納所いひ」
「和尚さま苦しいわけは二タ世帯」
お寺では梵妻を大黒という。大黒さまなら富貴をもたらす神のはずなのに、和尚が大黒をかくまっているため、お寺の経済が苦しい。寺の会計役の納所坊主が「大黒どころか貧乏神だ」。
注:納所とは台所のこと。

 

誹風 柳多留〈1〉 (岩波文庫―川柳集成 1)

誹風 柳多留〈1〉 (岩波文庫―川柳集成 1)

 岩波文庫から「川柳集成」全8冊が出ている。積読である。そのうちに読んでみよう。