病が語る日本史
- 作者: 酒井シヅ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/08/07
- メディア: 文庫
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太平洋戦争までは、感染病が死因の多くを占めていた。医療が未発達の時に、宗教・迷信が大きな役割を果たしている。死の病から少しでも逃れようと、苦労している有様が多くの文献の紹介で示されている。
マラリヤ・糖尿病・ハンセン病・寄生虫・ガン・眼病・インフルエンザ・脚気・コレラ・天然痘・梅毒・職業病・赤痢・結核・ペストなどが取上げられている。感染病は人の往来の拡大で、中国・朝鮮・ロシヤ・ヨーロッパなどから持ち込まれて、多数の人々が死んでいる。その対策は国家の安全にかかわるものとして、大変な努力を当時の人々が行ってきたことが理解される。
安政5年6月(1858年)に長崎で発生したコレラは当時人口6万人の都市長崎で767名の死者を出した。それが江戸まで蔓延して人口百万人の江戸では約3万人の死者が出たという。
はしか(麻疹)でも多くの命が奪われている。文久2年(1862年)の流行では「江戸洛中麻疹疫病死亡人調書」によると、江戸だけで75,981人が死んだという。実際はもっと多く、江戸の各寺が報告した麻疹で死んだ人の墓の数は239,832であったという。今ではとても想像できない数である。いかに病気から逃れて生きていくか、困難な時代であった。
天然痘で死ぬ事は今ではめったにない。昔、天然痘は発病してから14日から15日の経過を経て全快するが、その間に死亡する事が多い、怖い病気であった。また、治ったにしても、顔には痘痕(あばた)が残り、生まれもつかぬひどい痘痕面になる事もあった。NHKの大河ドラマ「篤姫」に出てくる徳川13代将軍の夫の家定も天然痘にかっかって、痘痕面だったという。とてもドラマに出てくるような美男子ではなかった。
「あばたもえくぼ」(恋する者の目には、相手のあばたでもえくぼのように見える。ひいき目で見れば、どんな欠点でも長所に見える。 大辞泉 小学館)という言葉も、死語になってしまった。